最近の読書。

パール・バックの「神の火を制御せよ」を読み終える。
なんと!パール・バックは昔の「シドニィ・シェルダン」だったか!!(とは失礼か?)
中学生の頃、「大地」を読んで大いに楽しんで、でもよく考えたら「エンターテイメント」だから
あの長い小説をあっさり読めたのか、文部省推薦図書だった気もするが、昔からそんなもんかな。
今回の物語では主要登場人物の1人が我慢ならんセクハラ親父で、いつかこの男を血祭りに、、と思ってたら
途中で脳こうそくで倒れたんでやれやれ(違う)、職場の女性に迫るとき、「のっぽさん」なんて呼ぶとは
おどれは、「できるかな」の怪獣かぁー!と、ワケのわからん盛り上がり方をしてしまった。
1950年代にアメリカで書かれた小説の中でもこういうヤツが出てくるモンなんですな。
そういえば「戦後、女と靴下が強くなった」なんて失礼な言い回しがあるけど、
「戦後、男は靴下より弱くなった」と言ったらどんな感触なんですかね、靴下と同格に扱われンのは私はいやなんですけど。
仕事ができて天才科学者であっても私はセクハラ親父は「棒持ってきてコーンと一発」やりたいっす、いや「がつん」とか。
セクハラを受ける女性は聡明なんでこの親父に「理解」を示すんですが、私にはできませんな、
真面目に仕事の話をしている途中で襲いかかられたら刺しますよ、
戦争もへったくれもあるかー、おまえとだけは仕事できーん!と訴えてやる、でも50年代じゃなあ、、
それはともかく「原爆」というものを作り出す過程とそれを持った時、それを使うこと、使った後、使われた「敵国」に、
こんなに真摯なまなざしを注げたバック女史はすごい。アジアに深い敬愛の情を持ってくれたことに感謝する。
それから湯川秀樹ってすごかったんだなあ、と改めて。仁科芳雄って人を私は知らないんだけど、えらい人らしい。
「物理」とか言われた瞬間に、私は「はいっ、もうここでお店おしまいっ!がらがらぴっしゃーん」になるんで、
大昔、知り合いに湯川秀樹と朝永何とかの話を延々と聞かされたような気もするが
「だから理系のおたくは嫌いなんだよ、、」なんて思っちゃったなあ、
うちのダーリンも物理をこよなく愛してるんですが。(しかも理系でおたくだ、、)
感想文になってないな、作者の心の豊かさがよく伝わるすばらしいエンターテイメント小説でした。
「大地」を読み直そうかな、伝記も読みたくなった。
この本の前に読んでた吉田裕の「アジア・太平洋戦争」も面白くて、
私の中の「戦争」箱に入ってる、「バターン死の行軍」とか「アッツ島」「ガダルカナル」「ミッドウエー」「硫黄島
テストに出てきたらかっこにうめるためだけにごちゃっ、と詰め込んだ「言葉」がちゃんとつながった。
この辺はどうも「言葉」だけを無理矢理に覚えてるだけで整理してなかった、もういいやって感じで。
「神の火を制御せよ」の中では日本軍のしたこと、「南京虐殺」にしろ、日本に畏敬の念を抱いている
知識のある人でさえやはり受け入れがたいことだと考えているのが印象的だった。
でもアメリカは日本がアジアでやったことに比較的寛容なように思うんだけど本当はどうなのかな。
吉田裕を立て続けに借りてパール・バックの評伝も借りるとなると丸山真男は遠くなるなあ。
もうちょっと方向性を持って読書するように心がけたいもんだ。私には体系的知識が欠けてる。
ま、今に始まったことじゃないですけど。
そうそう、吉田裕の本で「アメリカ化」を受け入れる要素は戦前の日本にすでにあった、と言う意見が私には新鮮だった。
年をとって死ぬまでに知りたいと思うことの地図をちゃんと完成させられるのかな。
考えて読書をしよう。