「体罰」、を思う。

私は自分が子供に加えた体罰の一つ一つを思い浮かべることが出来る。
客観的に見ればその程度の数の少ないものだった、といえるのだけれど、
覚えているのは、「しなければ良かった」と思っているからに他ならない。
私たち夫婦が全く知らない土地で子供を二人で育てようとしたとき、
きめたのは「決して死なせない」と言うことで「志が低い!」と言われたらその通りだが、
育児のしんどさはある程度私たちはわかっているつもりだったので
まずはそのレベルから始めようと、実際、そのレベルにして良かった、と今も思う。
あまりに高い「理想」を掲げていると確実に自滅していただろう。
若く弱い私をよく知っているから、正直言って、もう少し年を食って結婚してたら
1人で知り合いのいない土地で子育てしようなんて絶対思わなかった、と確信する。若いって、本当、怖い。
私たちの体罰の基準はまだ言葉のよくわからない子供に、「何が何でもしてはいけないこと」を
「体」を使ってでも覚えさせようということで、その「何が何でもしてはいけないこと」とは
「自分の身を危険にさらすこと」、長じては「他人に危害を加えないこと」だった。
水のある方に1人で行かないようにする、ガスコンロをこっそりひねろうとしない、
刃物のある場所を開けない、と1才から2才にかけて、ふっと目を離したすきに
やりそうなこと、実際やろうとした現場を押さえてばちばちかわいい小さな手を叩いた。
そのえくぼのうかんだ幼い手のこうを私はわぁわぁ泣き叫ぶ声とともに今も鮮明に思い出す。
私が後悔しているのはあのとき、家の中には子供と私しかいない、二人っきりだったことで
小さな子供は私に叩かれても逃げ場がなかった。
その痛みを癒す手もその手を打った私=母親しかいなかった、
そのことが彼女にどのような影響を今後及ぼすのか、私にはわからない。
そういう「叩く」と「癒す」がセットになってその奇妙な関係を当たり前のこととして
3才までにすり込まれたといえるのなら将来、他人との関係においてどのような影響を及ぼすのか
私は大変なことをしてしまったのかもしれない、と今、考えている。
二人目を産むとき里帰りをして一ヶ月検診を終えて配偶者の元に返ったとき、
小さな赤ん坊をいじるのをやめさせるためにまた上の子の手を叩いて
「おばあちゃんはどこなの?」と涙を浮かべてつぶやかれた。
そうだ、里帰りしていたときは、まだ仕事をしていても夜には家に帰ってきた母が
不機嫌になってぐずる上の子の相手をしていた、と初めて気がついた。
上の子は子供を産んで間もない私が十分に相手をしなくても
そのいらだちを受け止めてくれる人が家に別に存在した、
その安心感が私にも子供にも大きな良い影響を与えていた、とそのとき私は理解した。
私は家の中で母子が二人きりでいることの危険性をしみじみ知っている。
家にいる、と言う「責任感」のようなものが特に真面目な母親を追い詰めるように思う。
と、書くと私がまるで真面目な人間のようだが、
私は不真面目な人間なので、かなり早くから外にいろんな「逃げ場」を設けることをはかっていた。
幸いにして宿舎住まいだったのでその宿舎にいる人を無理矢理相談相手にしたり、
近所の公園に出かけて同じような子供連れの人に声をかけたり、
そこで集めた情報を元に育児サークルに出かけてみたり、
友達に電話をかけまくったり、とにかく育児から「逃げる」算段を常に用意していた、と言える。
意外かもしれないが現実界の私はわりに社交的な性格なので見ず知らずの人と話をするのに抵抗がない。
病院の待合で全然知らない人とも話が出来る。
これはみんなそうなんじゃないか、と思っていた時期もあったがどうもそうでもないようだ、私の数少ない「特技」である。
それはともかく、外に出る「術」を知っていた私でさえある程度、「自分1人が子供を見ている」という「責任感」を
常に重く感じながら育児をしていたので、もっと生真面目に育児を考える人が1人で育児を担っていたら
どれほどのの負担が心にかかることか、それと「体罰」は別といえるのだけれど、
わたしの場合、遠く離れたところで孫の成長を心待ちしている子供の祖父母達のためにも、
子供の命を失わせないための「責任感」が「危ないことをさせない」「体罰」となってしまったことを
今振り返っている。確実に危ないことから子供を遠ざける方法として「体罰」を選んだことに
あのとき、私にはためらいがなかった。実際、子供はその後一度として禁じたことはしなかった。
ただ、たった一度叩かれただけでわかる子供は、叩かなくても危ないことは理解できたようにも思う。
それは今だから考えられることではあるのだけれど。
男の子のいる友達に以前そういうことを告白すると
「何を言ってるの?当たり前じゃないの、わたしなんか息子に「けり」まで入れてるわよ、
そうじゃなきゃ子供なんて育てられるわけないじゃない、暴力母?なんとでも言え、
誰が産んで育ててやってると思うんだ!」と非常に頼もしい答えが返ってきた。
「子育てのつじつまは、後で合わせよう」とひしと手を取り合った友達は今は遠いところでやはり育児に四苦八苦。
(と言うか、子供の「お勉強」面で私同様「もがいている」)
体罰」はしないですむのならその方がずっといい、と言うことだけ、私は考えている。
体罰」を与えたことを子供達は覚えていなくても私はずっと覚えている、
それは子供に許して欲しいというのではなく、ただ、覚えていようと思うだけ。
私はいけないことをした、と覚えておく。
ところで、母親以外の別の目や手が家庭にあったらいい、とずっと地元にいて親と同居の友人に言うと
「それはそれで、どっちかが見ている、と油断して風呂場でおぼれかけたことが何度か」なんて答えもあったりして、
風呂場って、やはり危険なようです。(違うか)
「とりあえず、水は抜いておいたら?」と私、「もったいないこと言わんといて」と友達。
結局、ないものねだりなのかな、、