雑録。

学校論やら、新総理やら、書きたいことはあれこれあるのだけれど
最近、少し考えさせられたことについて。
時々読ませていただくお子さんの1人が障害をお持ちの方の日記で
光村図書の米倉まさかねの「大人になれなかった弟たちに」を取り上げられていて、
最後の一カ所、「母は初めて泣きました」と
ああ、この方はこの言葉がもっとも心に残ったのだなあ、と興味深かった。
私にはそこを深く感じとる感性はなかったな、母親としての在り方の違いがそこにあるな、と。
私は歴史教科書がいかに塗り替えられようと、国語教科書でこの反戦への思いが
深く胸に残る文章が用いられる限りまともな子供なら戦争を嫌悪するだろうと感じている。
小学校からずっと光村図書で子供は育って、教科書には必ず戦争中の生活にかんする文章が載っていて
特に低学年の時は音読があるので子供のたどたどしい声で
「もう一つちょうだい、と言いました」(食べるものをおねだりしているのです)、
なんて読まれるともう涙が出てきて止まらない。
戦争がつくづくいやなのは、子供に食べさせるものがない、と言うことだ。
私は育ち盛りの子供の旺盛な食欲を知っているのでそれに見合う食料を得られないことに
どれほどかつての母親達は心を痛めたか、そして今も戦地で同じことが繰り返されているだろう事実には
悲しみを感じる。子供が欲しがる食べ物を与えてやれない親の痛み、戦争のもっとも憎むべき現実だ。
それと話が変わるが、もう随分昔、まだ子供達が小さかった頃、ひどいいたずらを二人ともがして
私がしかりつけているときに子供達の父親が帰ってきて
「そんな悪いことをしたのなら、食事をぬきにしろ」と言って大げんかになったことがある。
私が小さな子供がどんな悪いことをしたとしても食事を与えない、なんて発想を
自分の配偶者が思いつくなんて全く信じられなかった。ふるえが来るほど配偶者に怒りを覚えた。
子供に食べさせないなんてどういうつもり?自分も食べないつもりか、
自分は食べていて子供に食べさせないなんてことがあなたには出来るのか!と激怒した。
「なんでそう言うことが言えるの?子供にうんちやおしっこを我慢しろって言うことと同じでしょ、
虐待ってことがわかって言ってるの?体罰以上のことよ!」
と子供のことはそっちのけで喧嘩になってしまって、
ただでさえ母親にしかられてナーバスになっていた上の子が
「ごめんなさい、もう御飯食べない、もういらない、御飯いらないから喧嘩しないで」
と突っ伏して泣きはじめて、私は子供達と3人で泣いてしまった。
結局食事は4人で食べたが、恐ろしく惨めな食事だった。
しかも私は子供がどんないたずらをしたか忘れている。
それはともかく、おなかがすく、とは生理現象で、
これを子供に我慢させることは子供のプライドを奪うことだと思う。
その考えを配偶者が持っていなかったことに私は大きく衝撃を受けたが
彼が後でぽつんと言ったのは「僕はそうやってよくしかられた」とのことで、
たちの悪いことをしたらよく夕食抜きで部屋に閉じこめられたんだそうだ。
それを悪いことだとは思わなかった彼が今更親に虐待されたかのように感じたとしたら
私はとても申し訳ないことをした。
ただ、虐待を受けた側はそれに気がつかない、とはありうることなんだと知った。
もちろん、私の配偶者がひどい虐待を受けて育ったわけではない。
彼は遅くに出来た一人息子なので甘やかしすぎないように非常に気を遣って育てられたのだと思う。
そして戦争を経験した昔風の考え方の両親は食事を与えないことをそれほど悪いことと思わなかったのだとわかる。
次の日の朝になればたっぷりとした食事が好きなだけ与えられるのだから。
でも私はやはり子供に食事を与えないやり方は許せない。
子供達はそんなことがあったのは忘れているように思うが、
ふと、上の子は、あのときの食事風景がトラウマになってるんじゃないか、
フラッシュバックしていつか彼女に悪い影響を与えるんじゃないか、と怖くなることがある。
「もうご飯いらない、食べないから喧嘩しないで」と、幼いその声が未だに耳に残る。
子供の目の前で思わず大声でののしりあったことをずっと後悔している。
食べること、食べさせること、色々、考える。
少なくとも、食べることが苦痛であるような食卓にならないように今はずっと心がけている。
悲しいことをふと思い出してしまった。
実家の母は検査入院。不安の固まりになった父親に少々手を焼く。
実家では、何はなくとも本と食べるものだけはふんだんにあった。(今でもあるけど)
戦争を挟み、父親がいない家庭で育った両親の夢の家庭だったのかも。
子供が、たくさん食べて、好きなだけ本を読む。
そういう風に育てられたことを今、深く感謝している。
父の姿を見ていてそのことも思い出した。