「モラル」だの、「自衛」だの。

モラルについて、それを言葉の「概念」として人がとらえるのか、
あるいは人の「在り方」としてとらえるのか私は知らない。
母親であることがパフォーマンス的にとらえられるようなご時世だ、
「モラル」さえもパフォーマンスに過ぎないのかもしれない。
でも「モラル」の本質がなんなのか、とらえようとする人も少数存在する。
さらっと「流し読み」しただけの人間が何故そうした議論を「不毛」と決めるのか、私は不思議に思う。
私がネタに使われたから書くのではない。
もし「モラル」の本質を見極めるつもりがあるのなら
とことん、関係するエントリをすべて読んでみて決めるべきではないのか。
その上で「モラル」や議論の「不毛」を考えてみては、と思う。
ネットで「モラル」を云々出来る人間はごく少数だろう、
少なくとも高校生をいたぶってネットから追い出すようなことをした人間にその権利はない。
私が今もっとも腹立たしく思うのは単にネットで日記をつけるだけのことに
「自衛」などという言葉を持ち出して絡んできた人間を相手にしなければいけなかったことだ。
「自衛」せよ、とはつまり、根拠のない誹謗中傷をする、との脅しだったのか。
あまりにもくだらなくて、情けない。
何故日記をつけるのに「自衛」しなければいけないのか。
いい加減な思いこみだけで「頭の悪い専業主婦が多い」と書きながら
「頭の悪い専業主婦」と「専業主婦は頭が悪い」とは違う」などと、
自分が「多い」と書いた事実に全くふれることなく「専業主婦が頭が悪いと言われて怒っている」
と嘲笑するような人間が「モラル」に対して何らかの言及が出来るのかどうか、
私が親であることまで罵倒の材料に使う人間にどんな「モラル」があるのか、
全く理解が出来ない。
ネットで「モラル」と書くより、むしろ「節度」の言葉を使った方がわかりやすいかもしれない。
なんにしても言葉をどのように受け止めるかは個人差がある。
統一性を持たせるのは無理だと思うが、少なくとも子供を持っていることまで
引き合いに出して他人を罵倒する人間にモラルなど、「ない」、と言っていい。
別のことを書きたくても「自衛」と書かれて、書くことを縛られているような状態に
非常にいらだつ。
エントリをあげられれば、こちらはもう相手のコメント欄に書き込むことを遠慮しない。
こちらへも、かつてそうしたように書き込めばいいのだ。
「親」であることまで罵倒し尽くしたコメントは、消していない。
「探したけれどなかった、消したかもしれない」
他人にあの恥ずかしいコメント群を見られたくなかっただけの話だ。
それが「モラル」?本当に馬鹿馬鹿しい。
(追記;「なんにしても」を二つ使ってたんで消去しました。)