ある、「答え」。

私に育てられる子供が気の毒だ、などと自分の愚かしさに気がつく能力を持たないのが
頭の良さであると勘違いしている人間に連呼されたことを何故不愉快に思うのかあれこれ考えてみた。
彼が私と私の子供を混同し、子供を非難の場に晒したことに対して非常に不快に思っているし、
子供を攻撃しても当然だ、と開き直る下劣さを見せつけられて辟易ともした。
子供にとって私が親であることは逃げようのない事実である。
しかしそのことで子供が批判されるのは全くの筋違いで理不尽な話だと私は知っているが、
彼を不快にさせるものはすべて「悪」の論理でいけばそう言う「悪」は「処理」されて当然なのだろう。
私は彼が「対比」として繰り返し書く年収800万以上の「恵まれた」専業主婦モデルに対して
実は一種のコンプレックスを抱いているんじゃないかとずっと感じている。
年収600万と800万以上の壁の厚さは彼にはどうすることも出来ないのかもしれない。
私自身は30過ぎて周囲の年収が600万前後が多いと書ける男を立派だと思っている。
それは自分の年収の公表だからだ。私の周りにそんなプライドを捨てた男性はいない。
30過ぎれば年収800万以上が当たり前の世界の住人達なのだから。
そうした人間のニーズに応える専業主婦が非常に大変なのは「事実」だが、
それが彼にわかる日はないだろう、そんな人間達のそばにいるレベルではないのを自分で晒したのだから。
それにしても何故、気の毒な相手の罵倒に不快になるのか、突き詰めて考えていくと、
「専業主婦は何が何でも頭が悪い」ことにしたい人間の「母親なら母親らしくしろ」という
押しつけがましさにもっとも反発を覚えているのがわかってきた。
彼が示すのは「母親らしくしないおまえの子供は気の毒だ」と言うことではないか。
この場合、「彼にとって」の「母親らしさ」を私に押しつけているのであって、
彼は「専業主婦は頭が悪いんだから文句を言うな」と、嫌みを書いてくるのと同様の手口で
「母親らしくない人間の子供だから、気の毒に違いない」という思いこみを
私にぶつけてきたので私は怒りを覚えている。
彼にとっては夕方情報番組を「ながら見」するのが一般的な「専業主婦」でなければならないようなのだが、
夕方子供がアニメも見られないほどおけいこごとにいそしむ家庭の「専業主婦」は子供の送り迎えに忙しくて
テレビなど見られないし、私自身はほとんどテレビは見ない。
彼の何を読んでもいつの時代のどの世代の「専業主婦」像を思い浮かべているのか不思議だ。
おそらくは彼の周囲の女性が専業主婦になれば、そうなられるのだろう、彼の生活レベルの低さに哀れみを感じる。
「専業主婦像」にしろ、「母親像」にしろ、いい加減なイメージばかりが増幅されて
それを押しつけられるのにはうんざりする。
最近になってあるべき「父親」像や、「専業主婦を雇えるのがエリートサラリーマンの証」のような
おかしな考え方が男をも圧迫するのかもしれない。だから彼などが的外れの専業主婦バッシングをしたがる。
よく持ち出される「年収800万以上の子供のいない専業主婦世帯」だが私が知る限り、
最近の30前後の年収800万以上の男性が配偶者に選ぶのは結婚してすぐに専業主婦になりたがる女性ではなく
彼らと同じく優秀で、子供が出来て初めてよく話し合って、いったん仕事を退く選択をする人ばかりだ。
子供も持たずにぶらぶらしているような若い世代を私はほとんど知らない。
最近、従妹が結婚して相手の海外赴任のために仕事を辞めたが、
そういう事情以外で今、子供もいないのに結婚しただけで職を手放す若い世代がいるのかどうか、
そのためにかつての専業主婦モデルが減ってきているのは理解できるが、
彼が対比させていた「年収800万以上で子供のいない専業主婦世帯」とは、
全体の専業主婦世帯のどの程度の割合でいるものなのだろうか。未だに謎だ。
なんにしても、知らない世界の話を想像で書くだけの人間の考えることなので、
彼にとっての「母親らしさ」は自分の「母親」像なのだろう。
ピアノが弾けない不器用な息子を叩くような母親のせいで彼自身はあんなにもゆがんでしまったのかもしれない。
確かに非常に気の毒だ。
「私は彼をそんなにもゆがめてしまった彼の母親を心から憎む!」(らんすろっとくんちょう)
冗談はやめよう。30過ぎた既婚者がおろかしいのは幼児体験のせいではなく、単なる努力不足だ。
それはともかく知的レベルの高くない(その自覚はまるでないようだが)思いこみの激しい人間の
「あるべき母親像」のせいで、ずいぶんと不快な思いをさせられた。
しかし、この「らしさ」の押しつけがイヤな気持ちにさせるのがはっきりした。
このことについて、また考えていこうと思う。考えることにも「不毛」はない。