雑記。

ちきりんさんが「能力のなかったものを「ぼんぼん」と呼んでさげすむな」
と大変当たり前のことを書いていらっしゃる。
「名家のプレッシャーの中で育つのは大変」とはわかるんですが、
彼はその「プレッシャー」を出来るだけ軽くするように
名家のメリットを十分受けて育ったんじゃないですかね、成蹊に小学校から通うってそう言うことでしょう。
50過ぎて生まれて初めて受けたプレッシャーだったんじゃないですかね、
それに耐えられなかった、と考えて「ぼんぼんだから」と言ってあげる方が
「無能力ものだから」とかばうよりはマシなような、、、
自分が無能力であることに今の今まで理解できないほど甘やかされて育ったのかもしれません。
名家のメリットが守ってくれないものがあるのにやっと気がついた、
生きている限り学ぶ機会はあるモンですなあ、、
「ぼんぼんが」って言うのはこの先、生活には決して困ることのない方へのひがみですよ、
それくらいは言わせてやってください、、(涙)
お隣日記をふと読んでアンパンマンネタが大いに盛り上がってたのを初めて知った。
アンパンマン聖者説もずいぶん深い話になってたんだな、
アンパンマン、嫌われてるのか?私は好きだけどね。
そういえばさいばらさんの「これはぜったいいやだ」なんて4コマ漫画では、
「あんぱん」まんシリーズが随分非道な用いられかたしてたな、「ワシをすえー」とか。
(「あんパン」ってシンナーか何かの隠語だよな、確か)
アンパンマンが幼児にうけるのはあの描きやすい絵のせいだと思ってたなあ、
実際、子供達二人とも初めて描いた絵がアンパンマンの絵だったし
「まる、まる、まる、」と絵の下手な私でも簡単に描ける。しまじろうやぴかちゅーはむずかしいよ。
「ママ」「まんま」の次くらいに言い始めたのが「あーぱーまー」(アンパンマン、らしい)
言いやすい言葉、であるのもアンパンマンが幼児に受け入れられる理由だと思ってた。
私がいつも読んでる人のところに持った感想は、「7才までは神の子」って言葉を思い出したことで、
聖なるものから少しづつ離れて子供は成長する(人になる?)、のイメージがわいた。
(「7才までは神の子」ってのは子供は7才ぐらいまではすぐ死んでしまう、ってことらしいが)
「快、不快」からもっと複雑な感情の世界へと、そして「さよならアンパンマン」かな。
アンパンマン、キモイ、はわからんでもないけどなんだか幼児がキモイ、と言われてるみたいで、なんだかな。
アンパンマンが「絶対善」の存在と私はあんまり考えたことがなかった。
彼らが住む世界はものすごく曖昧な世界、
ばいきんまんも「バイバイキーン」ととんでいったわりにはCMあけには元気いっぱい悪さをするし。
「善、悪」のない混沌とした聖なる世界、なのかな、と。
首が飛んでしまう、とかそう言う残酷性(?)も子供はそれほど不思議に思わないんではないかな、
首の取れる人形は必ず子供は抜くものね。
うちに早くからあったりかちゃん人形の首が胴体にくっつくのはかなり子供達が育ってからだった。
食べられる、っていうのも子供にはどうもあんまりよくわかってない、
「ピッツァぼうや」って絵本があって、これは体遊びの絵本なんだけど
(子供をピザ生地にしてぐるぐる転がしたりする)「ピザになったから、食べて食べて!」とよく言われたなあ。
「あむあむあむ!」とやったら、きゃあきゃあ喜んだ。
アンパンマンの頭が食べられるのは怖い、は高度な感覚だ。
同じものを与えても時代の差や、与え方によって子供の反応は違うんだな、と面白く思った。
うちはたまたまあったテレビシリーズのビデオを見たのが初めてだったので
ばいきんまんは悪いことをする!も感じなかったみたい。
ばいきんまんはあれはもう本能に基づいてやってる行為で
それにつきあういつもの面々、みたいな目で見ていたような、、
アンパンマン、気持ち悪い、の発想は全く持ってなかったみたい、
でも幼稚園で「赤ちゃんぽい」と言われて「やめる」にしたのはいつの時代も一緒かな?
年少までは大喜びでアンパンマンの敷物で遠足に行ったのにね。
いろんな解釈があるもんだなあ、と面白かったけど、幼児の世界観を否定されてる気にもちょっとなった。
まあ、これが私の感じ方ってことで。
麻生幹事長の顔が「子泣きじじい」に見えて仕方がない。
あの広い額、だれか、箕と腹当てをかけてやってくれ、「子泣きじじい」が次の総裁なのかな。
意外にも私は福田さんがちょっと好きです、めがねっこ、もえ?