「お好きな人にはたまらない話」(かも)。

ふと見た先でまた「リンク」関係のエントリにブクマが集まっているのを読む。
私は「リンク禁止」と書いた覚えはないのにいつの間にか「無断リンクに不毛な怒りを抱く人間」
とされているし、
(不毛な怒りがあれば、リンクなんて消しますよ。どんなにクズリンクでも私は消していません。)
どうもこの「リンク」熱にはよくわからないものがある。
したい人がすれば?私はしないし、おかしなリンクだと思えばここで言い返しますからね、をやっているが、
それがまた「不毛な怒り」を抱いているに違いない、になるのだからな。と言うか、
私は前々からずっと思ってたんですけど、直リンクされた先をまともに読んでいる人っているんですかね。
「いつでも」「必ず」リンク先って見ますかね、
大体個人の好みで日記の周回先って決まってるんじゃないのかな、
好みの人が「こいつは悪人だー!」と憤っているリンク先にいつも行くかって言うと私は行かない。
とんでも科学系の先生がおもしろおかしく香ばしいところを紹介されているときは、
そのリアルな香ばしさを味わいたくて見に行くけど、
それ以外では、私は自分が気に入っている人が憤るわけが大体理解できたらリンク先は見ない。
なくなっている場合もあるし、書き換えだってあり得る。
私は自分が信用している人の感覚をほぼ認めている。
それ以上の個人的な興味があれば見に行くこともあるけどリンクにそれほど熱意を示す人がよくわからん、
リンクされてなくてもその日記のタイトルが紹介されていれば見たければ検索でいけるしね。
私はリンクはしないし、人からのリンクを不愉快に思えばそれに反応するからな、の立場で、
「はっきり無断リンク禁止って言ってる人のはしなければ?」の意見を書いた人には納得する。
ネットで何か基準を作りたいのなら、人がいやがることはしない、の現実社会の常識的な意見を採用するのも
一つの手段だとあの日記は書いているんじゃないかな。
私自身は無断リンクを禁止してないのに「リンクってなんか意味あるか?」と書くだけで
「モヒカンのどうの」と「とんでも認定」されてるようだし。
私は「モヒカン族」の意味が未だにわからん、はてなワードとかウィキペディアも読んだけど、
はっきりしなかった。
はてなが村らしいのも最近知ったし、何も知らない私はきっと村の「穴居人」なんだろうが、
ネットで日記をつけるのには困らない。
基本的に別基準でネットで書いている人間に対してものすごく一方的な価値観であれこれやれるのはな。
結局ネットって主観の披露の場所でしょう。リンクしようがしまいが、個人の勝手、
それだけのことじゃないのかな。
わからん、と言えばたとえばある日記を「確率的にたいした記事がない」というブクマコメントを読んで
「確率的にたいした記事がない」とわかるのは何故か?と思った。
「たいしたことがないから読まない」のであれば「読まないの」に「何故」
「たいしたことない」とわかるのか、大変不思議であるが、
きっと超能力を発揮して「たいしたことがない」のだとわかるのでしょう。
そして他人を「たいしたことがない」と書く人がどのように「たいしたこと」を書けているのか
確かめたことがないんでさぞ「たいした」記事を大量生産されていることだと思っております。
「つまらない日常」と他人の日記を読んで思われる方の日常もさぞエキサイティングでスリリング、
なんでしょう。書く価値があっていいねえ、、、すごいなあ。
ところで私は最近になってブクマコメントを消したり書き直したりする人がいるのを知った。
そうか私はタマネギ男は3号まで作ってたか、すっかり忘れてたなあ、、、、
思い出させてくれてどうもありがとう。まだまだ「パタリロ!」にはかなわないな、ははは。
そういや、私の愛しのタマネギ2号が久々に読むと実にまたタマネギぷりを披露されてて目にしみた。
その感想は、また後日。リンク先は「必ず」読んでるかーい?みんなー!