旅より帰る。(その1)

旅行から帰って来ると、私のネットの泥んこ遊びのドロがあっちこっちにかかってしまったようで、申し訳ない。
旅行に行く前は帰ってきたらとことんやってやるぅ!とやる気満々だったけど、
色々あって、そのことを書きたくなったんで、一時お休み、とは思ったものの、
よそ様を見るとそうもいかない気がしたんでちょっと書く。
私がブクマコメントを嫌いなのはそれを書く奴が「これ、ブクマコメントだし、かっこ笑い」的スタイルで
さも「オレ、別に悪いことしてないしー」ですませようとするからで、その卑怯さは
私の直リンクはしない、とかわんねーよ!、と、自分のエントリで意味のないブクマコメントに反論するのに
「いやなら見るな」ってのは「いやなら読むな」と私が書くのとあまり変わらん、といいたかったんで、
基本的には私が嫌であっても私のエントリに対してブクマコメントを誰でも書く「権利」はあると思っている。
もちろん私が「私の」「日記」に気に入らないことを思いっきり書く「権利」もあるってことで、
それは認めてるんでしょうな、あんたら、と書いておきたい。
実際、私はこの先ekkenが私のところにどんなブクマコメントをつけようとかまわないと思っている。
前回、ekkenが1年前、たった1回私が書いたことで「不愉快になった」と書くので、
1年経ってもなお忘れられないほど彼が傷ついたというのなら私は自分に課した約束を破っても
謝るべきだと思ったので謝った。彼が私には不必要に思われるブクマコメントを書き込むこと、
私が前々回、前回、ekkenのブクマコメントは不快だと書いたにもかかわらず「デンパチック」
「面白い」と書く理由がその1年前のたった1回の不快感に根ざしているのなら謝るべきだと判断した。
ekkenは私が書き込んだ後コメント欄に「先に謝られた」旨を書いたが結局、私の「不愉快」に関して謝ってはいない。
しかしそれは彼の「広い棚」の「尺度」だ、彼は私が「不快」だと書いても彼自身の尺度では
私の不快を妥当だと判断するに至らなかったのだろう。私は彼の「不快」の「尺度」を優先したが、
もちろん彼が私の「不快」を理解しなくてもちっともかまわない、彼の「広い棚」とはそういうものなのだろう。
私が書くのがいやになった、ということを書いてもekkenはお構いなしにブクマコメントを残した。
謝った後はしないでおくと書いてあるが私は彼が自分の「尺度」を「ブクマコメント」で
披露する権利を奪うつもりはない。もし今急に止めるとしたら彼は結局私に書かせたくなくて
「嫌がらせ」で前回と前々回にブクマコメントをしていたことになるのではないか。
私がブクマコメントを嫌いだといったとたん見たこともないid.名の人が大喜びで
「アーリアルでぶちなぐりてー」と脅しのつもりで(フン、出来もしねーこと、書くんじゃねーよ、ターコ!)
書くのと同じになりたくなかったらこれからも自分の「尺度」で「必要」だと思うブクマコメントは
いくらでもするべきなのだ。でも私はそれに腹を立て、「私」の「日記」で反論する「権利」を持っていると、
繰り返しになるが確認をしておきたい。
私は「晒し」的なブクマコメントはおかしいと思っている。
数を募って他人の感情の正否を決めるのはどうかと、あくまで私はネットで「日記」をつけていると思っている。
てか、本当に「日記」だし、そしてブクマコメントする人間は私は当然自分の「日記」を持っていることと思う
(確かめたことはないが)、なんでそこに書かないのかと、何故「ブクマコメント」なのか、とそこがわからん。
細切れの内容の「日記」だってある、それやってりゃいいじゃん、なんで「ブクマコメント」なの?ということだ。
(疲れてるんで、もうこれ以上頭が動かん、次回に続く、多分、だけど)