Mr_Rancelotの「専業主婦」批判を読む。(その1)

専業主婦と言うシステム批判をしているはずのMr_Rancelotが
何故私に「頭の悪い専業主婦」というブクマコメントを残したのかを、ここではとりあげている。
しかし彼が昨日送ってきたトラックバックはそうした内容に一切ふれていない。
また「専業主婦」を「システム」とし「制度」と見なしているのなら
専業主婦「業」と記述することもあり得るのではないかと思うが
彼がよく使う「党派性」などを考えると言葉の定義があまりに独自すぎるので思いつかないのだろう。
私は彼に国語辞典をお使いになられることを心よりお勧めする。
私にブクマコメントをしょっちゅうつけるわりにはトラックバックをしてくれないと読めないなど、
幾つか非常に不思議な発言も見られる。私がトラックバックをしないのは知っているはずなんだが。

Mr_Rancelotの「専業主婦批判」を読んでいるとはたして彼が何度も書くように
その「システム」批判のみをしているか疑問を抱く。
「頭が悪い」を「システム」としての「専業主婦」の形容詞に選ぶのは適切だろうか?
もちろん「専業主婦システム」を擬人化し、比喩に「頭が悪い」を用いるのは可能だ。
しかしその場合、経済成長を陰で支えてきた「専業主婦システム」が本当に「頭が悪い」ものだったか、
ある程度「有用」であったのは証明されているのではないか。
むしろ「用済み」になった、の表現方法が私にはしっくりと来る。
Mr_Rancelotの
「システムへの批判を全て人格攻撃として処理してしまう頭の悪い専業主婦が多いからではないですかぁ?」
というブクマコメントはあきらかに「専業主婦」を「システム」として見た文章ではない。
私がかつて日記に取り上げたのは一人歩きする「生きる価値のないような専業主婦」像、である。
これは「システム」批判ではなく「人格攻撃」である。
いるかどうかよくわからない存在を「専業主婦」像として一般化させ、撲滅すべきものとして叩きまくる、
まるで「ニート」バッシングに似ていると、私は後に「ニートって言うな!」で同じことを
先に後藤和智さんが指摘しているのを読んだ。
本の中にはそのようなおかしな「専業主婦像」が一体どこで「捏造」されたか
ちらりとふれている部分もある。非常に説得力のある論考だと思う。

Mr_Rancelotの「頭の悪い専業主婦」の言葉に戻ろう。
「頭が悪い」の言葉は「専業主婦」への「人格攻撃」ではないか。
「頭が悪い」が「専業主婦」の「属性」のように彼は用いているように思われる、
しかもそういう人間が「多い」と、私「一人」が書いた文章を読んで
何故「多い」と考えられるのか、私以外に同じようなことを書いている人間がいるのか、
彼は一切書かない。
もちろん、私は頭が悪い。昨日、書いた文章を読んでも、彼の文章をあのように引用することが
効果的だったかどうか、あえて取捨選択したに過ぎないがMr_Rancelotは抜け落ちていると指摘するので
彼には私が読んだことがうまく伝わらなかったのだろう。
また感情が暴走し同じことを繰り返し書いてていることもほめられたものではない。
あれを読んで「頭の悪い人間だなあ」と考えるのは当然であると私も思う。
しかしその「頭の悪さ」は私個人の「属性」であり、「専業主婦」だから「頭が悪い」と
一般化出来るのだろうか。しかも「多い」と。
確かに、「頭が悪い」から「専業主婦」しか出来ない、の見方もできる。
では「頭の悪い」人間は「生きていく価値のない存在」なんだろうか?
「頭が悪く」て「専業主婦」しか「出来ない」人間を、
「頭のいい」Mr_Rancelotのような人間がわざわざ「頭が悪い」とくりかえしていいものだろうか?
「頭がいい」人間が「頭の悪い」人間を挑発し、その「頭の悪さ」をむき出しにさせ、
嘲笑う、それは「モラル」と言えるのか、「システム批判」と言えるのか、
単なる「いじめ」ではないのか。
例えばMr_Rancelotはどの例をとりあげたのかよくわからないがこのようなことも書いている。
「お父さん、仕事を辞めてもいいのよ、と言わない女。
過労死した夫は会社に殺されたと泣き叫ぶ女。なるほど会社は酷かろう。
しかし酷かったのは会社だけなのか。」
その「女」とは、つまり配偶者が「過労死」してしまった「遺族」であり、
その「遺族」に対して、彼は何を言おうとしているのか、
「会社だけが悪かったのか」とは、配偶者の死を止められなかった人間をむち打つ言葉ではないだろうか?
これは家族に自殺された者に「何故自殺するまで放っておいた」と指摘することに似ていると私は思う。
その指摘で遺族は救われるのだろうか?
彼の書くことは「システム」批判の姿を借りた遺族バッシングに過ぎないのではないか。
私は彼が「弱いものいじめ」をしているように見える。(続く)