すごいむかむかするんで続き。

(注、昨日ekkenのトラバへの返答も書きました、あわせてごらんください)
私はkanose、ekkenが今さら良識ぶっていることに吐き気がするほど腹が立つ。
確かに罵倒表現を用いた人間に対応するのは馬鹿げている、では何故、私の僻地になら
くだらないブクマコメントを落として行けたのか。私も自分でまずいと思いつつも「罵倒」をつかう。
そういうところに何故ブクマができるのか?何故こちらを見下しきったコメントをつけるのか。
もちろん見下されるのは自分が見下されるようなことを書いているからだ。
でもこちらがよく知っていることを何故全く見ず知らずの人間が念を押していくのか、
罵倒表現を使う人間を相手にしない、と言うのならそんなところを見たことすら無視すればいいのではないのか。
彼らは全く交流のない私にくだらないブクマコメントを落としていった。
申し訳ないがkanoseが私に「無断」で直リンクするまで本当に何をしている人か知らなかった。
今も実は知らない。知っているのは愚劣で馬鹿であることだけだ。
ネット上には「書けて、読める」人「書けるけど、読めない人」「読めるけど、書けない人」
「書けないし読めない、なんでネットにいるのかわからない馬鹿」が存在していると私は思う。
kanoseは「書けるけど読めない人」と私は見なしている。それとも言葉の奥の意図、或いは、
その言葉を「書かせたもの」をわかっていても全く「無視」しているのか、自分の都合のいいように。
おそらくは今彼らがさも良識者ぶって問題にしている「ネットイナゴ」だの「ネット赤潮」だのは
「書けないし、読めない」連中だろうし私もその中に入るだろう。でも私は少なくとも人の多い所に
トラバをとばしまくったりコメント欄をよごしたり、ブクマコメントをつけたりはしない、
読ませる努力はしていない。しかし、意見は書きたい、それがネットにいる唯一の理由だからだ。
丁寧語を使えばどんなに愚劣な表現でこちらを馬鹿にしきっているとはじめからわかっていても
相手にしなければいけないのか?私は幾つかそういうコメントをもらって、おかしなやつだとすぐにわかった。
実際、言葉をかわす価値のない不愉快な連中だった。まだわかりやすい罵倒表現を使う人間の方が遥かにましだ。
私は罵倒表現とは相手に対して「別にマジで受け取らなくっていいですから」と伝えているものと見なす。
そういう逃げのあるものだとしか思っていないし、にたにた笑いで口調だけ穏やかな、
でもはじめからこちらを言葉でなぶる気でいる、また私を言葉で「なぶれる」、
自分にその力があると「信じきっている」、もう目眩がするほど自信過剰の馬鹿を、
それと知って相手にするよりはずっといい。kanoseはこちらを馬鹿にして「無断」直リンクをはってきた。
それを「有名な方にどうも有り難うございます」と私は言わなかった。有名であることを知らなかったからだ。
また有名であってもよくまあ、あんな卑劣なことをしたもんだ、と今でも呆れている。
私は彼らにブクマコメントされるのが本当に嫌だった、あれは間違いなく「言葉の暴力」であり、
私にとっては「罵倒表現」だった。まともに相手する価値のない奴らだと思った。
しかし一時期彼らは毎日毎日張り付いた。あれくらい嫌だったことはない。そういうことをこの僻地で
大いばりでした連中が今さら「罵倒表現をするやつをまともに相手することはない」と「正論」を書く、
なにそれ?あんたら、どんだけ私を不愉快にさせた?あれはいいのか、私が「罵倒表現するもの」だからか、
私が「ネット赤潮」を呼ぶものだからか、そのわけ方、あんたら以外の人間がするんなら、
私は受け入れるが卑怯な不快なブクマコメントをへらへらこちらを馬鹿にしきって書くような奴が
「できる」ことか、自分がやってきたこと、書いてきたことを振り返ってどの面下げて書けるのか。
私は、書けなくなる理由をよく知っている。こう書けばこんな反応がかえるんだろうなあ、
と自分でよくわかることだ。こう書かれてこんなふうにもっていかれるんだろうなあ、と、
私に関して「批評」とさも言いたげなブクマコメントを読んで、「あーあ」と思ったことが何度あることか。
連中が「これは批評だ」と「主張」するものにおいて、私が「こう書くだろう」と思ったこと以上のことを
書いた人間なんか一人もいない。「批評」になんてなってないし。
こちらがわかってることを何故書く?と思うだけだ。自分の書く能力のなさを痛感する、
こんなこともわかってないで書いている、と思われているのか、と。
ネット上では言葉だけでなんとか自分を保とうとする。文章をうまく書く方が圧倒的に有利だろう。
書けないものが罵倒表現を用いるのはその方が書きやすいからだ。
そしてその表現の中に幾許かの真実の叫びが聞こえることがある。
見ず知らずの人間の感情の奔流を見守っていて、私は幾つも学んできたことがある。
無茶苦茶に見えても人間の意識の流れが何かを表わそうとしている、私はkanoseやekkenごときが
しらじらしくそうした流れを自分達の都合のいいように変えようとすることには反対する。
連中がやってきたことを思えば、私は連中に従う義理は全くない。
もっとも、私はブクマも何もしないんで、あんまり関係ないが。
それからこの先、罵倒表現を用いればkanoseやekkenに一切かかわりをもたずにすむと思えば爽快だ。
きっと連中は二度と私にブクマコメントすることはないだろう、ああ、嬉しい。
それだけでもこんなくだらないことを書き散らした甲斐があると言うものよ!
kanoseやekkenにネットのルール作りをする資格なんて絶対ない。
私は自分が今まで書いてきて人の役に立ったと思われている全エントリかけて、宣言する。
クズにルール作りを任せるな。
参考;5月13日 私の「クダをまく」のブクマコメント。
ekken  こういうデンパチックなことを書く人にはやめないでほしいなあ。
kanose えっけんさん、それはストレートすぎるよ(笑)
私はこれを読んだ時、こころのそこから書くのを止めたいと思った。
でもコメント欄に書いてくれた人に「やめない」と書いたのでやめなかった。
どれほどこの二人は私を馬鹿にしきって不快な思いをさせたことか!
これはまぎれもなく「ネットイナゴ」行為だ。
奴らは自分がやってることを他人にさせたくないだけだ、
自分がしていることを自分にされたくないだけだ。

今、まだ昨日のにekken、kanoseがブクマつけているのを見た。
ekken、あんた幾つ私に下らんブクマコメントつけたか数えたか、
私が自分が悪いと思ったからずっと我慢してきたことがわからんか、
そんな人間だから私はあんたを認めない。
あんたは完全な「被害者」か?
あれだけくだらないブクマコメントをしつこく幾つもつけておいて、
それでも自分の方が「正しい」と書くのか?
では、私は「正しく」なくていい。
私はあんたがこの先幾つ私にくだらんブクマコメントをつけようと我慢する。
そのかわり他の人間が同じことをするのをあんたも受け入れろ。
追記;もう一回書く、私は「忘れてないから」「我慢」した。

週末、旅行するのでネットにはいません。