「人はパンのみにて生きるにあらず」、、、?

「希望は戦争」って、結局、これが言いたいことって
「腐ったパンでもいいからよこせ」ってことだよね。
「右翼」だとか「左翼」だとかがそれについてどれくらい論じ続けても答えなんかでない、
あの話を巡る様々な意見を読んで私がふと思いついたのは
「右翼はパンをほしがってる連中に、腐ったパンでもとりあえず与える」で、
「左翼は、まずパンを作るための粉と水と本を与えるけどすぐ口に入れるものをほしがる連中にはけっ飛ばされる」だ。
口に入れるものなら何でもいいとほしがる連中に、腐ったものであってもとりあえず与えれば
彼らはもらったことを感謝して、そのせいで腹下ししたり、時には命を落とすことになっても、
その原因になった腐ったパンそのものを疑うことはないんだよね、
たとえば、それをくれた相手が「左翼がこのパンを作った」とささやけばそれを信じる、
「おまえが腹を下したのは、そのパンのせいだ」
そのパンを腐らせたのはそれと知って与えたヤツなのかもしれないのに
「欲しいものをもらった」事実だけがすり込まれる、
これからパンを継続的に得られるすべを教えてくれているかもしれない人間を憎しみの対象とする、
それで空腹が押さえられるのならならかまわないのだろう、私にはよくわからないけれど。
すぐに「パン」が必要な人にいくらこれからもそれを「自分」で手に入れる方法を教えても「無駄」、
水も粉も作り方の本も上手に使えばどれほど自分のためになるか、それがそもそもわからないのだから、
まず、その「教えられるありがたさ」を気づかせなければいけない、でもそれってなかなか出来ないものだ。
私が考える解決策は、右翼がせめて古くてもいいから腐っていないパンを与えてやるか、
あるいは左翼がパンを彼らと一緒に作るようにする、なんだけど、難しい、
いまの30代以上の世代には出来ない気がする。
「何故自分たちはこんなに被害者なんだ?」と思い始めた人間に「悪いのはこれだ」と示すことについて
つまり「自分たちはかけらほども悪くない」、これだけを答えとして求めていたとしたらありがたい話だろう。
真実なんてどうでもいい、「自分たちは正しい、間違っているのは○○だ!」で、高揚感が得られれば
飢餓感は和らぐのかも。でもきっともっと強い高揚感を必要とするようになるよね、麻薬をほしがるみたいに。
「正しいものって、何?」40が来てなお私は考えている、考えざるを得ない、「正しいこと」を教えないといけないから。
でも「正しいこと」って教えることか?とも思う、それは自分で手探りしていくものだろう、親が与えるものじゃない。
もし「希望は戦争」がかなえられたら、腐ったパンをそれを欲しいと思わなかった世代に押しつけることになる。
「そのパンは腐っているから食べたくない」と言えるような人間を育てたいと思うから、
私はやはり「正しさ」の正体を見出したいと願う。
「正しいことって気持ちがいいじゃない?」と、とあるコメント欄で見かけた言葉、
決してその「正しい」とされる意見が私には「正しい」と思えなかった、でもその「気持ちよさ」は理解できた。
恐ろしいことだと思った。その「正しさ」は腐ったパンだった、
でも、それがその人にはわからない、そして私にも本当はわかってないのかもしれない、と思う。