ふと。

「結婚」という言葉が出るたびに私が思うのは「結婚」したい相手がいるのか?と言うことだ。
漠然と「結婚したくても出来ない」と持ち出されるとき、それはつまり相手が
「ウン」と言わないってことか、あるいは相手が全くいないのか、
相手がいないのに何故結婚したいのか、「結婚」という形態にあこがれているのか、
その「形態」にあこがれているのなら相手は誰でもいいのか、と次々疑問がわく。
あのですなー、「DQNとビッチ」が何故もてる、かと言ったら
つまり彼らの「相手は誰でもいい」というその「いい加減さ」じゃないんですかね、
(この話題については大野先生のところ以外ほとんど読んでないんで
どういう決着がついたのか知らんのだが)
誰でもいいならそんなに結婚って難しくないと思うんだけど、どうですかね。
もてる、もてない、は質か量か、世間一般でどう考えられているのか、私にはわからないんだけど、
「こんなだったら1人がましじゃーないか」の結婚形態を選ぶ人もままいるんで、
「相手はどうでもいいけど、とにかく1人は嫌だから結婚だけはしたい」が
世間一般の「結婚したいけど出来ない」人像なんかな、
ううむ、結婚相談所もお金がかかるらしいから、確かにお金がないと結婚って出来ないのかも。
でも、そんな「相手は誰でもいい、とにかく「結婚形態」をしたい」って人が本当に多いんか?
なら、なんでそういう形態になりたいか、行き着く先は「幸せ」だと思うんだけど、
誰とでもいいからした「結婚」で「幸せになれる」保証はないんだよね、
「結婚」って何か、「しあわせ」って何か、人は何を求めて「結婚」するか
どうにも答えはぐるぐる回り、すっきりしないなー。
たとえば「どんな相手と結婚がしたいか」と聞かれれば未婚者は割と適当なことを言うんじゃないか、
「そうだったらいいなあ」で「美人で優しくて料理がうまくて仕事もちゃんと出来る人」とか
「年収○○で背が高くて優しくて家事もちゃんと出来る人」とか、
これって結局ほとんど何も考えてないってことじゃないか、と私は思うんだけど、
「結婚したい」とか言う人の実情を既婚者になって15年以上たつ私にはわからんからな、
未婚の人は結婚に何を求めてるのかまずその意識調査をした方がいいんじゃなかろうか。
といって、居丈高に偉い学校の先生が「愚かな学生どもよ、己をさらせ」とアンケート用紙を配っても
表面だけおとなしげな学生(私がそうでした)がまともにものを書くわけもないんだから
むずかしいよな。
「結婚」に何を期待するか、ここら辺を絞って考えたら、色々見えてくるのかも。
やっぱり私は「子供がほしいから結婚する、でも出産育児にはお金がかかるのが
わかってるから出来ない」が一番深刻な問題と考えてしまう。
相手がいて、相手も一緒に暮らして子供もほしいのに、経済的に難しい、
これをどうしたらいいのか、究極には子供の生まれてくる権利を国家が全面的に保証する、
であればいいんだろうけど、なかなか出来ることじゃないんだろうなあ。
とりあえず「コウノトリのゆりかご」を全国に作ろう、になってほしいかな。(違うか)
あ、「結婚」を考えるつもりが、結局子育てにつながる、
どうも私は結婚=子作り、と考えてしまっていかん、いかん、
でも結婚するメリットって、それが一番大きいかな、と、だから小梨さんの
子供はほしくないけど結婚した、の姿勢がよくわからなくて、
でもそういう考え方もありかな、と思ったり。
そういや「殴るDQN」とかで、私は殴った後で優しくなろうがどうなろうが
一回でも手を挙げたようなヤツなんて、絶対信用せんな、
好きな人を殴ったりせんでしょー?ふつー、なんで?と、どうも乙女心がわからん。
前に夫は一度くらいは妻に手を挙げたくなる、とどこかで読んでダーリンにあるか?
と聞いたら、「そんなこと怖くて出来ん、あなたきっとためらいなく僕を刺すでしょ」
と言われた。まーそーかな、お互いよく理解できていてよかった、
これも結婚、その形態ってどうよ。結婚だけが幸せじゃないぜ、とか言っても
なんだかんだと結婚生活続いてる人間に説得力はないな。
誰と結婚したいか、これが一番の問題で、お金の問題はその次のような、ううむわからんな、
したいのに出来ない、のパターンをきちんとまとめた本とかあればいいんだけど。
前に小倉千加子さんがどこかで「階層」別に結婚形態を見るべき、と書いてた。
でも日本ではそれは出来ないんだそう、(少なくともお役所発注の仕事では)
それが出来たらもっと何か解決法が見えるような、、
ふと「幸せーってなんだーっけ、なんだーっけ」と歌いたくなる既婚者。
台風は風がすごかったです。