はて。

世の中には人にセックスしろ、セックスしろ、と迫るおっちゃん、おばちゃんがいるようで、「セックスしたら一人前」的な価値観はいったいどこから始まったのか、不思議に思う。
昨日、画像で見る限りは「おっちゃん、おばちゃん」どころか、「じいさん、ばあさん」なビジュアルな方々が、どこで拾い上げてきたのか、
「年収500万円の童貞」をネタに飲んでいる記事があって、なんとなく、この手の「ジジババ」が「まだ現役!」感をむんむん出しているから、
若者がセックスに萎えるような気がしたわ、少なくとも、私はそうだな。
「セックスしたら一人前」「セックスの数で人間が磨かれる」のなら、田舎のヤンキーなんて磨きぬかれて後光が差さんばかりになるはずだが、
あいにくその手の光を私は子供時代から感じたことがない。
セックスは大切なパートナーとのコミュニケーションに欠かせないものだと思うが、それ以上のものではない。
「誰でもいいから付き合っちゃえよー」とか言いたがる輩は昔からよくいて、その「誰でもいい」とされた「相手」のことを考えることがあるのかな?
とうんざりする、「誰でもいいと思ったので付き合いました」ってのでセックスまで行き着いて、それで幸せになれるのかどうか、
いるかどうかよくわからない「ヤリチン」なら幸せになれるんだろうね。
「ヤリチンといえば村上春樹!」という無茶なエントリがあがっていて、私は村上春樹はさほど好きではないが愛好家は育ちのいい人が多い印象なので、
たぶん、書き手は村上春樹がわからない程度に育ちが悪いんでしょう、私と同じく。
それにしても彼女の交友関係があまりにも悪くて、平均値が出るほど「ヤリチン」が友達にいて、すべての部屋に上がりこめる関係とは、
彼女の結婚相手の友人たちなのかな、と思ってしまう。
まあ、彼女の周囲のヤリチンは友達の結婚相手まで手を出すほどの「やり手」ではないようで、とうのたったおばはんである私は「まだまだだね」と、
ナチュラルボーンヤリチン、というのは見境ないからな、そういう人間ならちらほら私の知り合いにもいる。
しかしあいにく、彼らの家に上がりこみたいと思ったことがないので、村上春樹があるかどうかは知らないなあ。
そもそも、私は他人に書庫を見せて手の内をさらすような馬鹿の部屋に行きたい人間ではないのでな。
人間の交友関係というのは、大体、本人の出来と比例するので、あまり残念な交友関係をさらすのはよろしくないな、と思ったのでした。
あのエントリがいやな感じなのは、結局「ヤリチンにやられる女なんて馬鹿じゃない?」てな女性に対する見下し感があふれてるからだろうな。
他人のセックスに口を出す人間のいやらしさはどちら側であっても不快だな。