この国で生きるということ。

去年の夏の面談で志望校のついでに将来の希望を先生に尋ねられいきなり「検事になりたい」と言って
親の度胆を抜いた上の娘が生まれた頃から、巷では「お受験」なるものが流行していて、
幼稚園、小学校、中学校と、その機会を娘共々くぐり抜けてきた。
幼稚園が私立しか存在しなかった高知時代以外、一度も私は子供にお受験をさせたことなく、
現在地元の公立中学3年にいたる。小さい時から出来が良さそうに見えるのか上の子は何度か
「お受験しないの?」とすすめられたことがあり、私は流行りモノをこよなく憎む人間なんで
そのたんびに「ヘッ」に近いようなことを言って嫌われてきた。子供の将来のメをつむのか的なことを
身内にまで臭わされて非常に腹を立てたりもした。
私には私の考えがあって子供の教育をこの国の公立校にゆだねようと決めて、
でもそのことをほとんど人に話したことはない。
私はこの国に生まれたことに感謝している。多分、どこの国に生まれて来ようときっとその国のことを
私なりに愛するようになったと思うが、全くの仮定の話しなんで本当はわからない。
ただ、母国語が日本語であるが故に私はこの日本と言う国を無条件に愛している。
そしてこの時代に生まれたこと、この時代に生きていること、全てを愛している。
だからこの国が決めたことに従おうと決めている、自分の子供の教育も。
ひどい教科書で、それまで教えられていた内容の半分でしかなくても、
その半分を完璧に覚えられるようにしたらいい、
それでこの国で生きていけるというのならそれでかまわない、
「民主主義」の名の元においてこの国の政治家達が決めたことなのだから。
ゆとり教育が悪い」、それが本当に悪いかどうか、わからない。
教えられた以外の内容を教えられていない子供達が知らないのは当たり前のことだ。
そのことについて、まるで教えられなかった子供達が悪いかのような世間の論調は間違いだ。
「ゆとり」とは本当は何を意味したものか、まともに知ってる人がいるだろうか?
詰め込み以外の知識を応用するやり方を学ぶ、が本来の教育の指針だったと
私は二人の子供達の「総合」課目を経て理解するようになっている。
意味もなく今のやり方を責め立てている世間一般は、自分の子供を、或いは、自分自身がきちんと
今の教育課程を体験したんだろうか?私は疑問に思う。
きちんと色々なことに向き合って得た結論とは言えないような話が跳梁跋扈している、
ただただ頭ごなしに「公立はダメだ」「今の教育はダメだ」「今の子供達はダメだ」。
私は去年の今頃に、「ダメだという以外何をしてくれた?」とネットで問うた。
答えはかえって来なかった、「ダメだ」という以外、誰も何もしていない。
「学級崩壊」の次に、「医療崩壊」が最近は流行り言葉になっていて、ネット上でも様々な意見が見受けられる。
医師がどんどん「逃散」していく、「公立」総合病院から。それが「出来る」家庭の子供達が
「私立校」に逃げたように。「逃げる」ことが医師達には出来るのだ、のこされてしまった患者達とは違って。
患者の質が落ちたのは本当のことだろう、でもその質の悪い患者達の逃げ場ってどこかにあっただろうか?
社会のどこにもなくて、だから「病院」や「学校」に無理難題を持ちかけてくる、
とりあえず「先生」というものにすがろうとしている、そんな人間に哀れみを持ったことがあったんだろうか?
逃げ出すことが出来た医師の方々は。
もちろん無茶苦茶な人間達に哀れみをもてないのは当然のことだ。私だって腹立つ事はいっぱいある、
でもいつも考えている、無茶苦茶な人たちに
「機会は平等に与えられただろうか?」
私はこの国の公立校でどこまで子供をまともに育てられるかどうか、やってみようと思った。
足りないぶんは補えばいい、私にはとりあえず「ヒマ」がある、「仕事」をしていないから。
私の子供はそういう家庭に生まれた、母親が家にいる家庭に、ある程度の「ゆとり」のある家庭に。
多少のゆとりのある人間が少し我慢してやってみること、この国で生きていくために必要なのはそれじゃないかと、
私は思っている。私は小泉政権を全く支持していなかったけれど、日本の大多数の人間達が彼を支持したのだから、
彼が言った「みんなが少しづつ我慢すること」をやってみなければいけないと思っている。
私が決めたのではない、でも「民主主義」が決めたのだ。私は「民主主義」を支持している、だから従う。
私のような人間はきっと絶滅種でいつか必ず滅ぶだろう、そしてこの国も「崩壊」する、
そのあとに何があるだろうか?
「自分は悪くない」「歴史が、教育が、教科書が、悪かった」「私達は被害者だ」「もう戦争しかない」、
そういう声ばかりが聞こえてきて、でもそういう人が何をやっているのか、私にはわからない、
私は、この国が定めたやり方にのっとって、税金が運用される公立校で子供を育てている。
医師達だって国外逃亡をはかったわけじゃない、私は病気になれば逃げた腕のいい医師を探して
診てもらおうと思っている。
うまくは言えない。でも、私はこの国で生きていこうと思う。
「正しいことがしたいから検事になりたい」
このあいだ書店で「中学生のゆめ」という本を見かけたので娘に「何か夢はある?」と聞くとそう答えた。
1年経っても同じことを言うんだな、と驚いた。
「正しいことって何?」と去年、あんなに母親に突き上げられたのに。
「お前は室井管理官かー!」と言っても、月9のドラマなんか見せた覚えはないんできっと娘には意味がわからない、
検事よりはその検事に吊るし上げられる側になる方が、率としては高い中学に通っているんだけど。
いつまでその夢を持つのか母の私にはわからないけれど、それでも「正しい」ことに惹かれる心を
子供が持っていること、私には、少し、哀しく、少し、嬉しい。
この国で、この教育制度の元で、育つ子供達をせめて責めるのはやめてくれないかと
私はそのことだけを願っている。
与えられた機会の中で精一杯やっていこうとしている私と子供達を責められる人はこの国にはいないと思う。
私は逃げないでおこうと思う。この国で生きていこうと思う。