石原慎太郎が嫌いなわけとか、、(まとまってません)

都知事石原慎太郎が「従軍慰安婦を『調達』した事実はない」なんて言ったのを知って、なるほどねー、と思う。
このオヤジを支持する女がいるなんて信じられん!の意見を知事選の前によく見かけて、
私もなんでかあんまりよくわからんで「石原裕次郎のお兄様に「あなたを守ります!」とやってもらいたいんでは」
と書いたんだけど、ネットのとある論争を読んでてわかった気がする。
このおっさんってさー、ものすごい差別主義者なんだよ、人を「分別」するのにためらいがない、
そして自分は常に「選ぶ側」もしくは「残しておいていいと選ばれる側」と信じて疑わない。
東京都民は私も兄弟がそうなんだが、アホですわ、こんなのを都知事に「選んだ」んだもの、
こういう人間に「選ばれる人間になります!」と宣言したようなもんだよね、
「私は差別主義者です!」と宣言するようなもんじゃない?
もっともそれが悪いことだとかけらほども思えないから言うんだろうけどね。
従軍慰安婦問題について色々ネットを拾い読んでて「どこの国でもやってることだ」
「兵士の性犯罪をなくすためにはやむをえない」「罪のない女性の被害を防ぐためだ」で、
私はこの意見の中で最後のやつが一番嫌い、男が女を「分別」してるじゃないか!まるで「ごみ」のように。
私ら「女」は「ゴミ」みたいなもんか?「君を守るためにぼくは他の女は踏みつけにするよ」
なんて言う男を私は許さないし信用しない。そんな男にたった一人の女さえ守れるもんか、
そんな男に「守ってあげる」なんて言われて嬉しいもんか、反吐がでる、近寄るな!と心のそこから思う。
でもそうじゃない女達がいる。「私は守られる人間ですのよ、ホーホッホッホ、選ばれた人間ですの」ってやつ、
常に「私は他の女とは違うの」ってやりたい人、「選ばれ」て「守られる」に白痴のようなエクスタシーを感じる女、
自分を「選ぶ」男が「クズ」であってもいいとは、全く「自分で選ぶ」事を知らない気の毒な人間だ。
いつも他人の評価だけが絶対なんだろう、この情けなさ、自分の事は自分で決める、が全く出来ない。
だから差別主義者である石原都知事を支持する、そういう差別主義者に「君は違うからね」とやってもらいたいから。
そして自分がえらい人間だと信じたいから、自分の「保証書」を馬鹿からでももらいたい、或いは「血統書」?
人間じゃなくて犬か猫だよな、私はたとえ犬や猫であったとしても「血統書」なしでも立派に生きていきたいですが。
「君たちは従軍慰安婦みたいな汚れた女じゃないんだろう」みたいなニヤニヤ笑いをどうして
同じ女が快さそうに受け入れてるのか私は長いこと理解しがたかったけれど、先日あった大論争(?)で、
「私は汚れた女じゃなくってよ、ホホホ」がやりたくってたまらない人がいるんだとやっとわかった。
「同じ女である」と言うことよりも下らない男からであっても「分別」されることを常に受け入れたい女がいるんだな、
と、差別して当然!の意識に陶酔を感じる人間がいる限り、根本的にあらゆる問題は解決しない。
従軍慰安婦問題もその中の一つだ。
石原慎太郎を選ぶ女ってブランドの箱の中に自分が入りたいんだと思う。ブランドの箱の中に入ってれば
自分がブランドだと信じられる、私はそういう人よりもっとプライドが高くて嫌味な女なので
自分自身は箱に入らなくてもブランドでありたいと思うのでした。石原慎太郎を嫌うのは同族嫌悪的なのかね、
そういう迷いがあったりする。
他の女を犠牲にしても自分達の女は守る、なんて男は信用できないってのは間違ってるんですかね。
私はやっぱり嫌だ。ダーリンがそういう人じゃなくてよかった。(オチがこれかいっ!)