雑記。

こうのとりの揺りかごで保護された子供についてわりに3才児神話に懐疑的な人でも
「父親の記憶がもうあるのに、、」的に捉えてるのが私としては不思議。
今14才と11才のわが子達、自分が3才の時の事なんかかけらほども覚えておりません。
子供って「今」だけがものすごく大事で砂の城が崩れるように過去のことは忘れていきます。
「3才で捨てられた!」なんて私は言わない方がいいと思います。もし言うとしたら
「3才までとても大事に他の人に育ててもらったんだよ、だから今はここにいるんだよ」でいいでしょう。
それ以上にこの子が生きていくのに必要なことってありますか?色んな人の好意でこれから育っていく子供が
幸せになるためには「3才で実の親に捨てられた」なんて言うことじゃないと思う。ちょっと腹立つ。
親はね、もうどうでもいいの、だから私は「親学」だの「親業」だのものすごくアホらしい。
親になる資格のどうのと言ったって、私だって親の資格あるかどうかの自信なんてないしね。
でもまあ、子供ってなんとか育つよ、今とこれから、だけが生きてく目的だし。幼児期は「今」が全てだけどね。
ネットを浮遊してて、よく見かけるのが「心の傷」で「壊れた心」「くだけた心」「傷つかない心なんてない」
とまあ、そりゃあ深刻に色々あるだろうが、壊れっぱなしの心ってのはレアだからね、
そういう言葉のもて遊び方は傷つけた側(?)としてはなかなかの勲章だろうが馬鹿臭い。
人は生きている限りその傷を癒す機会を与えられるし、心は再生する。父親と離れてしばらくは淋しかろうが、
いずれ全て忘れるし「それが心の傷となって、、」なんて子供に失礼だ。
それにしても、日本の養子制度は非常に複雑で大変らしいとこのあいだニュースで知った。
まあ、子供を守るためもあるんだろうが、もうちょっとどうにかなればなあ、と思う。
今、そこに生まれてきた子供を可愛がって大事に育てる、も不妊治療と同じくらい大切なことのような。
私は機会があったらちょっと里親やってみたい。でもものすごく難しいんだろうなあ、、、
赤ちゃんとか預かったらそのまんま自分の子供にしたくなると思う。そこがなあ、、
ネットで初めて「東条由布子」が「芸名」と知る。下の名前さえ違うんじゃン、
なーんじゃそりゃ、東条家の「黒い羊」っぽいのになんか納得。
東条由布子」サン、「今の風潮では日本が諸外国に迷惑をかけた悪い国というイメージを子供達が持ってしまう」
なんてどこからそんな妄想電波が出てるのやら、そういうのも「心の傷になる」と言うのねー、
ハー、心、傷だらけ。東条さんのお孫さん達がそうなんですかぁー?って聞きたいなあ、うちは違うんですけど。
そしてそんな子供にあったこと一度もないんですけど。どこにいるんですかァー?そんな子供。
どうでもいいけど、やっぱり全ての子供に幸せになって欲しい。
お父さんとかくれんぼするつもりでいた子供はお父さんが好きだった事だけが大事、
「捨てられた可哀想な子供」って言葉はふさわしくない。