季節ですなあ、、

保護者会に出席するかどうか、が話題になっているようだが、これが話題になるとは、
ううむ、認識ってひとそれぞれなんだなあ、と改めて考えさせられる。
出たい人、出られる人は出たらいい、が私の認識ではあるけれど、確かに出ないと役員にさせられる、
出たら役員にさせられる、これは同じ小学校でも学年の「カラー」であり得ることだから
(上の子の時は出たらやらされる、で下の子の時は出ないとやらされる、だった)どっちがどうだ、
とは言えないなあ。ていうか、出る、出ないをそんなにも気にするべきか?の意識が私にはあるんで、
出られなくても仕方がないわな、ああ、今日はきたん?みたいな、そういうユルイ感覚で見てないと、
学校生活疲れるかもしれんね。私は多分今年は役員しないんで、でも、今年はしないですむ!とかいってたら、
急に「どうしてもやれません!」の人のをやらないといけなくなったことがあるからまだわからんのだけど、
あちこちの保護者会の役員をさせてもらって言えるのは、その保護者会に出席すること、しないこと、を
「意識する」って心が一番厄介な気がする。「しなければいけないこと」の感覚が根底にあると
「しない人」をどうしても否定的に捉えてしまう。
その意識がまわりまわって自分の首を絞める結果になることも、まあ、あるしね。
私は10年に渡って役員をしてきてはっきり言えるのはうちの地区に関する限り保護者会は
いらないんじゃないか、ってことだ。ものすごく僻地の、田んぼに水を流す順番で確執が
あったような田舎での保護者会なんかは生活に密着した催し物にかかわりがあって、
「秋祭りの神社の神輿をかつぐんは誰がやるんじゃー!」と、保護者会がなくなると困るから
あった方がいいか(な?)と思うが、今子供が通っている小学校ではそういうつながりがないし、かなりおざなり。
役員会の欠席の連絡もちゃんと伝わってないし、第一、その役員会だって3日前に急に電話で
「集まります」とやられて、交通当番表作る時期なのにおそいなあ、と思ってたとこだったから
どうも長の人が忘れとったみたい、どうしても抜けられない用があったんで、きちんと連絡をしておいたはずが
次に行った時「聞いてません!」とプンプンされて、やれやれ。サブの人との連絡なんにも出来てないじゃん、
役員会でのこの手のあれこれはもう話せば本当いーーーーっぱいある。システム作りが出来てないし、
システム作りを妙に拒否する人がいる。その場その場で対応していけば?とも思うが、
「こうじゃなきゃやだ!」の人が一定数いて、うるさいしね。結局小学校も過ぎてしまえばあっという間、
それでも少しはマシになるのかも、と思ったり。
あってもなかっても、のゆるい意識で行ける時は行っておく、行けない時も気になるなら誰かに連絡をとる、
くらいでやっていく方が精神衛生上よろしいかと思います。
でも地域性があるから一番はじめのにはとりあえず行っておけば、とは思いますね、
保護者会の出席率でその学校の程度をはかる、ってのは私は違和感ありますが、
まあざくッとした目安にはなりますわな。
それから「その地区で名士的存在の奥様がやる」って意識がある地区も確かに存在します。
ノーブレスオブリージュか、と驚いた。家庭訪問、参観日、役員会、どこもシーズンですなあ、、、、