ことし。

今年は小学生がいなくなった年だったなあ、と急に思いつく。
途中で変わった小学校づきあいも9年で、長かったような、短かったような、子ども達が中学生、高校生になっていろんな意味でぐっと楽になった。
小学生時代ってなんであんなにばたばた親が出て行かなくちゃいけないんだろうな、役員していたり子どもが部活をしてたら特に。
「保護者の仕事は専業主婦で」がお約束だし。ただ、その専業主婦が少なくなってきているので保護者関係の負担はそれなりに重かった。
私が小学生の保護者やってるときがちょうど過渡期だったんだろう、
PTAシステムは私が役員をしているときに何度か改変されて、卒業する頃は完全に
「フルタイムで働いていようが、幼児がいようが、介護があろうが、とにかく子ども一人につき一度は絶対役員!」制度が整ったらしい。
(ちゃんと機能しているかどうかは知らんが)
「お父さんでも「可」」ってのはそろそろ定着した、と言うか、私ぐらいの年齢ではまだPTAに参加しているお父さんは何となく不憫(?)な気がして
それなりに気を遣ったりしたけど、もうそう言うのはナシになってるみたい、ま、当然のことですが。
役員はちょろちょろやってて良かったと思う。大きな本部役員にはならないですんだのが「僥倖」だったがそれなりに楽しい思いもした。
いろんな人に出会ったりして、手の足りない役員がえっちら、おっちら、単なるボランティアーで続けている催し物に参加してくれた
「すてき」奥様が「ヒマなんだからやってるんでしょう?ちゃんとしてよ!」なんて言ってくれたり。
いやー、私はにこにこしながら相手をペラッと拒否したり、神妙な顔をして謝りながら、ちっとも相手の言い分を認めなかったりして、
そう言う人間関係のやり過ごしがうまくなったなあ、なんでただでやってることでここまで嫌な思いをしなきゃいけないんだ、と思ったことも。
なんにもしない人ほど文句が多い、はよくわかった。
中学にはいると子どもが動くが当たり前になってくれるからもう口出しをせずにすんでる、部活の保護者会も上の子のおかげでなれているし、
高校の保護者関係が勝手がわからなくてドキドキしたけど、それも消化できた、なんにしても小学生時代よりはずっと「マシ」。
ただ、小学生時代は手がかかった分だけ思い出も多い。苦労ってやって損するモンじゃないな、と思う。
昨日ダーリンが西原理恵子さんの「毎日かあさん」を買ってきてくれて、「子ども小学生最盛期」の色々が楽しく書かれていて
面白ろうて、やがて悲し。いや、「悲し」ではないんだけど、ほっともしているんだけど。
うちにはもうちりちりとお守りの鈴を鳴らしながらランドセルをしょってかえってくる子供はいないんだなあ、、
とか言いながら、うちの中学生、高校生はやはり鞄にお守りの鈴をつけてちりちりかえってくるのであった。母ちゃん業はエンドレス。
先ほど、全く動かなかったので驚いた、コメント欄にも入れなかったし。
障害情報は出ていないのになあ、、
追記
あれ、アンテナにも反応していないな、いたずらでもされているのかな?
やっと反応、障害情報は出てないのにな。