「母親」

ネットを散策していてよく読ませてもらうのが「親子」関係で、特に娘である人の母親への視線は
現在進行形で母をしている私にはかなり痛い。やはり思春期から青春期にかけての母親との確執は深刻で、
大きく心を傷つけてしまうもののようだ。「ようだ」と書くのは実は私が実家の母親との関係が
それほど濃密ではなかったせいで、だから深く母親を憎んでいる(?)らしい方のことがうらやましい気もする。
そこまで私は母親と関わっていないんだなあ、フルタイムで定期的に泊まりのある仕事だったので、
子供時代などほとんど顔を見たことがなかった。同じく父親も家にいなかったので私は兄弟とばあちゃんと
本のはざまで育っている。憎むほどの思い入れがない、というか今でも交流は希薄と言っていいかも。
喧嘩もしないからなあ、母親にとって私は尽きせぬ謎の娘らしく今はものすごく気を使う、
だから私も気を使って、このあいだ、よく考えたら生まれて初めて母と旅行した。
イヤー気がつかんかったわ、これくらい、関係が薄いのよ、それがいいことか悪いことか。
それほど悪いことじゃないようにも思うんだな、大人になってから母親とつきあうようになって、
この人に子育ては出来ん、とか思うんだよ、なんつーか、ものすごく「乙女」な人なんで。
「子供」という存在を恐れているというか、もちろん自分が子育てしてこなかった負い目が私に対して
あるのもわかるんだけど、ある意味ものすごくお嬢様なんで、なにか突発的な局面でオロオロして
ただ身をすくめて嵐が去るのを待ってしまうような、子供をどうしようとか、全く思いつかない、思いつけない、
思考が停止してしまうような感じだ。ずっと仕事をしていた人なんだから、そうでもないと思いたいんだけど、
とにかく色んなことが決められない人なんで子供時代にこの人だけを頼りに生きてたらものすごく追い詰められたかも、
と思ってしまう。「親は頼りにならん、ばあちゃんには期待しない」が子供時代の私達兄弟3人の黙約で、
それで何はともあれ、世間一般的には何の問題のない社会的立場に3人共がなれたんだから
(まあ、私は「賤業」主婦なんだが)案外「教育」とか「子育て」とかはいいかげんにしておいても
なんとか子供は育つのかも、と思ったりして。
で、私には母親像が描けないところがあって、とりあえずこうした方がいいかな?程度で
恐る恐る子供を育ててきて、今はなんとかなっているんでいいだろう、と思っているものの、
やはりネットで「私の母親はこんなで、あの時のことが忘れられない」とかあるとものすごく「ドキッ!」とする。
ウウウ、ごめんなさい、許してくれー、と謝りたくなったりして。
確かに読むと本当に悲惨な経験もされている方もいるようで、やはり実は子供がそれほど好きじゃないのに
育児を無理強いされた反動が自分の子供に向かったのか、あああ、ここまでよく大きくなってくれました、
よかったです、早くお母さんのことは忘れてください、と思わず書きたくなったりして、
育児者を母親に限定するのはとても危険なことだともっと広めるべきだ。
ただ最近思うのは、そうやって憎まれるのも母親の役目なんだと、そんなことをした母親を許さないでいる娘が
苦しまないように私が「母」の立場として言えるのは憎んでいていい、と。
いつまでも許されなくてもいいのが母親なんじゃないかな。親が子供を許すのは義務だけれど、
子供が親を許す必要はない。親がそれを求めてはいけないと、私は時々思う。
親を憎むことで少しでも楽になれるのなら私はいつまでも子供に憎まれてもいい。
親は許さなくていい唯一の存在だと思う。
私は母親を憎む必要もなく、かといってそれほど感謝もせず、誠に親不孝もんで、ゆっくりと迫る親の老後に
一応の覚悟をもちつつ、でも昔の思い出がそれほどないぶんだけやや冷静に立ち向かえるのかな、と期待してる。
育ち方はそれぞれで、また母親もそれぞれで、父親のことは、、、またそのうち考えてみよう。
「父親業」をやるってのも未知の世界かもしれないなあ、、