学校の話。

定期的な人気記事として「学校は悪だ」論が注目されるが、なんでそんなに「学校」を憎むんだろう、
憎かったのは「学校」の中にいた「誰か」だったんじゃないのかな、「学校」というシステム自体はそれほど悪いと思わないんだけど。
でも実は私は「学校」が嫌いだったな、毎日毎日いかなきゃ「いけない」が苦痛で苦痛で、
でもよく考えてみたら別に毎日行かなくてもいいんじゃないか、行きたくないときは行かないようにしようと思い立って、
それを実行したら、そのあと、「学校」が嫌じゃなくなった、
「強制」がいやだったんだなあ、「自主的」に行くのは気にならない、試してみてわかった。
これは素晴らしいアナーキストである明治生まれのばあちゃんが実質的な保護者だったから出来たことかも、
「ばあちゃん、行きたくない」と言えば「休め」とあっさりだったんで、私は罪悪感を感じずにすんだ、
これが真面目一方の母親だったら、相当追い詰められたかも、おばあちゃんの育児はなかなかよかったな。
「学校」って都合よく利用する「システム」でもあると思う、
やはり「集団」を「知っておく」のは人間として最低限必要なことだし、その「集団」の中で突出しようが、追い出されようが、
それほどたいしたことではない。(「突出」するとは追い出されたことか。)
「学校」の枠にあわなかったからといって卑下することもないし、「学校」を必要以上に憎むこともない。
「学校」って、ただ限定された年齢の人間達が集まる「場所」なだけですよ、
それが「不自然」と言われたらそうかもしれないけどそれを言うならたいていの人間集団はどこかが不自然だしね。
「学校」無しで子供って育つかな?やはりどこかで「集まる」ことが求められるでしょう。
「学校」の何が問題か、を考えたら「学校」を憎む必要はないと思う、私が考える問題点はやはり「少人数」じゃないことかな。
1人の先生がせいぜい15人程度を受け持つにすれば、よほど効率が上がるような、いろんな面で。
保護者になって見る「学校」ってちょっと滑稽で、悲しい「場所」でもある、
いつかは「私」も「子供」もここからいなくなる「場所」だと、しみじみ。子供って、あっという間に大きくなるものね。
ネットには「学校嫌い」が意外に多くて驚く、私の周りでは「学校嫌い」は私だけでした。
ネットも「学校」っぽいところがあるのにね。
子供の頃は学校嫌いだった母親の私から、学校には行かねばならぬ、と思いこむ上の娘と
どんなに崩壊してても学校、「チョーたのしいす」の下の娘が生まれた不思議、
「嫌なことでもしなくちゃいけない」と信じるタイプと「集団生活」が面白いタイプ、なのかな、
どちらにせよ、私の教育の成果ではない。ある意味、「学校」のおかげかも。