雑談。

日記に子供の話しを出すとどうも日頃の言動がアレなんでリアルの子供が悪く思われてるんじゃないかと
反省しきり。昨日コメントして頂いた方は私の娘が「フーゾク嬢になる」と言う娘だと心配されたんだろうか?
こういう言い方をすると昨日まで書いてたことと違うような差別ニュアンスになるんだけれど、
そういうことを思いつくような子供ではない。というか、むしろ件の差別発言者側と同じ趣向を持っているので
そのことを心配している。最近都会の方ではスカート丈が長いのがはやりはじめているらしいが
田舎の中学生はギリギリまでスカートを短くしたのが「イケテル」わけで、
そういう「半分パンツ見えてまっせ」な同級生達を優等生の王道をひたむきに歩く上の娘が
どれほど嫌悪していることか、そういう子供達とそりがあわないのでくそみそにけなしていらっしゃる。
(ああ、書けば書くほど、子供の出来が悪いと言ってるような気も、、)
ある程度は聞いてあげ、ある程度は諌めながら、今この子は自分をなんとか確立しようとしているんだろう
と見ている。つまりあやふやな自我を形づくるために、まず他人を否定する行為からはじめているのだ。
こういうやり方をするのがいいことだとは思わないし、もしそれは私の教育が悪かったせいだ、と言われたら、
そのとおりです、申し訳ありませんと謝ろう。ただ、謝らなければいけないのは私の娘に対してであって、
他人や世間に対してではない。いつまでも他人との差別化を図ることから子供が抜けだせなかったとしたら、
そうしたことでしか自分を表現できない道に知らずに追い込んだ私自身の見えない何かを申し訳なかったと、
だからもうそういうことをやめて他のやり方で自分を確立して欲しい、と言おうと思う。
少しづつ、そういう時期から抜け出しつつあるので心配はしていないのだが。
それにしても、やはり自分と他人の区別をつけるためにまず人がやってしまうこととは、
何かを否定することなんだな、と子供の周りの子供達を見ていても思う。
やはり中学生は何かを「嫌だ」と言うことから何かをはじめようとしている気がする。
意識や体の激変になかなかなれない、あのむき出しの不安定に他者への攻撃で紛らわそうとする、
そのぶつかり合いが時に恐ろしいまでの「いじめ」となって姿をあらわすんだろうと、しみじみ感じる。
いじめの構造については内藤朝雄さんの著作が詳しそうなんで今回珍しく買って読んで見ようかと
思っているんだが、なんと言っても「中学生」、この時期ってものすごく難しいと思うのが私の今の正直な意見だ。
ちょっと怪しげな母親に育てられているわりに私の娘は「公立校の星」と冗談で言われるほど真面目で
成績もほぼ間違いなくトップをとる。見た目も優等生そのものだ。
だからこそ、親は不安に思ってしまう、って言うのはわかってもらえるだろうか?
常に理性的であろうとする、理論的であろうとする半面「ちょっと走ってます」な同級生に手厳しい。
このややヒステリックなアンバランスを私は扱いあぐねることもあって、だからむしろいっそ
「どうして売春はいけないの?」とか「人を殺してはいけないの?」とか聞いてみられたいようにも思う。
ま、事実、聞かれたら度胆を抜かれるのがいいところ、でしょうが。
こういうことを聞かない娘であることをある程度信頼しつつも、また心配している、
意外にフツーの母親であると御理解いただけたらと思う。
また、これからはあまり子供のことを引き合いに出さないように気をつけたい。
聡明なコメントは有り難かったのですが、ちょっと子供を誤解されたかも、と心配になってしまいました。
接触による侵食を言葉に出来ず恐れるから多分、軽そうに見られがちな同級生を嫌悪するのだと私は見守っている。
いつかそういう差別化の暗い感情を整理して、豊かでやさしい大人になって欲しいものだ。
私はなれておりませんので、そうならなくてもあんまり責められないんですけど。
ネットでよく言う「厨房」ってのは、実によくできた表現方法だな、とリアル中坊を持つ私は思うのでした。
西原理恵子さんの元旦那様、鴨志田穣さん死去。大変哀しい。
あれほど罵倒して、あれほど激しく愛を表現したカップルを、私は知らない。早すぎる死が本当に惜しい。