子供を持つこと、、ってか?

よそさんのアンテナから「小梨」(いつ見ても可愛いすぎるネーミング)さんのところを拝見した。
ふーん、私は欲しくない人には産まなくていい、とちゃんと言ってあげるべきだといつも思うんだけどな。
ちょっと前に産みたくない理由についてあれこれ書いているとこを見て(ここもまたコメント欄がごちゃごちゃと)
ほう、と感心して、ブクマの「産みたくなる理由も書いてくれ」のとこも読んで、
こんなにも産まなくていいから、って言って欲しい人がいるんだな、と気の毒になった。
いや、いいから、産みたくない人は産まなくて。て言うか、産まないでくれ、とお願いしたい、
社会ってのはいつでも、子供を産みたくない人が産んでもいいような世界じゃないし。
それでも産みたい、と思う人にだけ産んでもらえればいいんだよ。
だからまずどうしても産みたくない人たちにどうぞ絶対産まないでください、
あなたに産まなくていい認定証を差し上げます、ってのをやるべきだな、
いや、私は産みたいんで、の人だけ、どうぞどうぞ産んでください、産んでいただけるためになんでもいたします、
でも産みたくない人も手厚く産まないための便宜もはかります、と、平等にしておく。
産みたくない人を追い込むようなやり方は無駄中の無駄、
産みたい人のためにだけなにができるか、が政府のやるべきことなんだけどなあ。
私は子持ちだが、産みたくない人の気持ちがわからないではない。産みたくない人に産むことを強制したくない。
そんな半端にできるようなもんじゃないからな、出産も、育児も。
ある程度の覚悟があってもネをあげそうになるってのが育児だ。ましてや、「産みたくなかったのに、、」なんて
泣き言を言いそうな奴にまわりにこられたら迷惑だ。
「チクショウ、仕方がねえ、自分が欲しいって思ったんだからよぅ!」と究極には開き直るくらいじゃないと
子育てなんか出来ない。世の中、お花畑じゃないからね、「あ、産んでてよかったかも」なんて思えるほど甘くない。
自分がなんで子供を産んだかって言うとこれは結婚したのが子供を作ってみたいから、だったんで、
子供を作ってみたい、ってのは格別自分の遺伝子残したいとか、愛するダーリンの子供が産みたいの(はぁと)
とかでもなく、増えたら面白いかも、みたいな、よその子をグニグニするのは限界があるんで、
やはり自分の子供なら好きなだけゴニョゴニョ触ってもいいかな、と考えたという大変身勝手な理由で、
子供を持つのに夢のある方、ごめん。でもやっぱり子供って面白い、私は産んでよかったと心から思う。
自分の中を通じて別の人格に出会えたことには感謝している。
子供と言うのは、産まないと会えなかった人であるものね。
そしてこの子供に会えてよかったと思う人がこの世界にいるかもしれない。
その奇跡のような偶然を私が産み出したかもしれないと思ってみたい。
もっとも、それがかなわなかったとしても、充分子供からは共に過すという喜びを与えてもらっているんだけどね。
「小梨」さんの話しを読んで、ちらっと不思議だったのは、もしこの方のお母さんが
「あんた子供なんか産まなくていいからね、私はあんたを産んで心から後悔してるし」と言われたら、
ああよかった、って思えるのかな、ってこと、親にこんなこと言われたら根源的に否定された気分じゃないか?
あと、自分が嫌いなのに、嫌いな自分と結婚してくれる相手をよく理解出来たなって、
嫌いな自分を好きな奴とはなんちゅう酔狂な、と思わんかね、えぇー、こんなもん好きなのぉー?
ってならんのが不可解。私は嫌いなもんが一致しない人とはやってけないな、世の中色んな人がいるわ。
まあおかしな世界でも生まれてきてここまでやってきておまけに変わった(?)配偶者に巡り合えて、
人生面白いわ、これ、別なやつにもやらせてみるか、と思わないのはそれはそれでかまわないんだよね、
それが世界ってもんだもの。ただ自分の子供を持ちたくない、の個人的趣向を世界のせいにするのはどんなもんかな。
そんな世界でも子供を産む人はまだまだいるから、そういう人間をおかしいとは思わないでいただきたい。
それだけだなあ、子供を欲しくない人に言いたいことって。
欲しくない人が子供を持っちゃあいかんよ、これだけは確かなことだ。
少子化対策よりまず、欲しくない人には絶対産ませないようにしましょう、を政府はやってみては。
こんなこと言われたらかえって子供が増えたりして。どんなもんでしょうね。