雑談。

昨日、「望まない妊娠云々」の記事を見かけて以前、「子育ては義務」という話がネットであったのを思い出す。
ふと「子育ては義務」と言いたがる人間は「介護も義務」と言うだろうか、と考えたり。
意外に「介護は違う」と言うんじゃないか、基本的に血のつながりのあるものがその面倒を見る、を信念にしているような人間でも
避けて通れない「介護」にたったひとりで直面したとき「無理だ」に気がつくんじゃないか。
自分以外の面倒を見るって、一人ではできないことがなぜか世間では理解されていない、特に育児はそうだと思う。
つまり「育児なんて女がするようなつまらない仕事」としか認識されていなくて、
「一人ではできない」と言えば「こんなこともできないのか、女のくせに」とより一層母親を見下す。
特にネットでは自分の母親に不満を持つ人間が多いので「母親のくせに!」はまるで絶対的正義のように振りかざされる。
お前らなあ、一人で育児してみろよ、本当にそれが可能かどうかやってみろよ、と、私はしみじみ言いたい。
先日、ネットで「他人様に自分の生んだ子供の面倒を見させようって言うなら頭の下げ方ぐらい心得ろ!」と宣言した某杉並の区議様は
37歳にしてまだお子様のいない方だとか、
自分がやってもいないことを何もかもわかったがごとくに自論を垂れるとはどんだけ頭が悪いんだ、と東京都の教育レベルに涙しそうになった。
それはともかく、幼児を連れた女性が保育園交渉とは、どれだけ国は「母親」を酷使していることか。
乳児をお連れなら、まだ産後の体でこの寒い時期に外に出るとは自分の体に鞭打つようなものだ。
正常産であっても、授乳による寝不足や激変した生活のために、相当その体には負担がかかっているだろう、
それでも「仕事がしたいです、保育所を!」と交渉に赴く優秀な人材を国家は放っておいていいのか、
自分よりはるかに素晴らしい女性たちに「頭を下げたらどうだ」とは「下げるのはお前の頭じゃ!」とあの区議には言いたかった。
「働けと言っている割に環境を整えることもできず、申し訳ありません」と、頭の下げかたを知らないのはお前だー!と
あの区議には本当にムカついたのでつい、長くなってしまったわ、私が言いたいのは「介護も育児も義務ではない」なんだけど。
それが社会的に広く承認されない限り、女性はいつまでも奴隷だ。
「産まなければいい」と子供嫌いは言うかもしれないが子供を産む、って実は自己責任だけではないのだよね、
人が人を産みだすのは個人の問題ではないのだよ、完全にそれが個人の事情であればとっくに人類は滅んでいるんだよ。
ひどい災害に何度見舞われても、人間がこの世界に存在するのは、人が人を産むからなんだよね。
2年前のあの大災害のあと、私は子供を産んでおいて正解だったとしみじみ思った。
この世界の再生に参加できる人間を存在させることができたのだものね。
なんにせよ、個人が親族の面倒を完全に見る、は不可能なんで、それを基本として政治を行ってもらいたいもんだ。
介護施設も足りてないけど、保育所も足りていない、なんだったら足りているんだろう、杉並区議のようなバカか。
「バカっていう方が馬鹿なんですー」と、自分を締めておこう。やれやれ。