「母」の世界、、

時々読ませてもらってるところで障害者差別について「?」と思うところもある、的書き方
(相当意訳)していて、昨日コメント欄に書いたこともあわせて考えた。
その「差別」って言葉が最大の「防御」である「攻撃」になってて、こういうのって母親同士の付き合いで
多いんだよな、特に子供がまだ小さい時は子供を「守る」って気持ちが強くて、ぶつかりあう。
でも「差別、差別」と叫ぶお母ちゃんはあきらかに心の病い系だと私は思うんで、だからまともに相手して
しかも「障害者って書いとけ」って言うのは相当まずい。イヤー、本当「それを言っちゃーおしめーよ」で、
その公園にいた人たちが音もなく姿を消した気持ちは非常によくわかる。
残念ながらそこにいた人はその「差別」と叫ぶ人と同類に彼女を見てしまったわけで
おかしなお母ちゃんの手を引っ張ってた弟君と蹴られたお嬢さんは同じだときっと周りは見ちゃったよ、
きついなあ、、それにしてもこの手の母親同士の諍いとか、例えば、私は陣痛促進剤をつかって子供を産むことが
「親失格!」と考えつく人がこの世に存在しようとは夢にも思わなかったんであの時は本当に驚いた。
「促進剤をつかわなきゃいけないなんて妊娠中にちゃんとしてなかった証拠だ」とまで言われたもんな。
私は煙草も酒も当時はしない人だったし(酒は子供を二人産んだのち飲むようになった、煙草はあわない)
血圧も低め、貧血もなし、尿にタンパクもおりてない、全く問題のない妊婦だったんだな。
(おまけに20代半ばだよ、腹囲の増え方も「理想的!」と太鼓判おされてた)
ま、言うと、うるさいんでなんにも言わなかったけど、今思えば彼女は相当「差別的!」だったよな、
「差別!差別!!」と言えばよかったかしら、でもやったら馬鹿じゃん、まわりが見てるもん、
しおしおしてる方が絶対有利なんだよ。実際、育児サークルで私の方が優遇されてたもんね。
(ちょっとした「テク」もつかいましたが)とはいうものの、手を出されたらかっとなる気はよくわかる、
私はきっと黙ってその子つかまえて殴ってるな、お母ちゃんがとんできて割って入るより先に
バシっと1発やっとけば、とりあえずもし本当の障害者であっても小さい子に近づくと自分も危険、
ってことくらいはわかる。お母ちゃんに「障害者なんです」と言われても
「あらごめんなさい、気がつかなかったわ」と言っとけばおしまい。
「うちは悪いことをする子には「平等」にペッチンすることにしてるの」とぬけぬけ言う、
「差別」してないもーん、ってことだもんね。障害があってもお外で遊べる程度なんだから
多少の外部への認識はあるはず、きちんと怒ってもらえるのも「差別」されてない証拠なんだけどな。
上の子がはじめて行った幼稚園でも「私は長い間不妊治療に苦しんで5年目にやっと出来た子供で、、」
と長々喋るお母さんがいて、お気の毒だな、と思ってたけど、だから「うちの子を突き飛ばすなんて許せない!」
といきり立つ(3才児が突き飛ばすくらい、よろめくようなもんだよ)「特別な子なのに!」って、
別の子のお母さんと喧嘩になって「あなたみたいに簡単に子供ができる人にはわからない!」と
(喧嘩相手のお母さんは妊婦さんだった)言って周り中を敵にして結局夏休み前に(年少組、だよ、たった3ヶ月)
やめてしまった。あーあ、そこ私立だったんで入園金とか制服代とか馬鹿にならなかったのにね。
ホンマ色んな人がいるわ、世の中。
色んなものを「盾」にして子供や自分を守ろうとする人がいて、また気に入らない人を攻撃して「自己主張」して、
でも私が今まで見てきた限り、「盾」は「盾」であったためしがない。「矛」もまた、「矛」ではない。
人に不快な思いをさせる人はまず間違いなく不幸なんだよね、育児サークルの変な人も
他の人から聞いたところによると同居してるお姑さんとあれこれある人らしかった。
攻撃しながら攻撃する相手に「助けて」と悲鳴をあげてる、そういうせつなさがわかるようになるって、哀しいね。
育児サークルで「自称」自然派で「うちの子はアトピーで、私はこんなに気をつかってる」
(「障害者差別」を「矛」に使うみたいに、子供のアトピーを自分が「理想的な母」であるのを
見せびらかすためだったようにも思う)お母ちゃんになんで私が目の敵にされたかと言うと、
友達曰く、その人がすごく欲しがってるどこかのブランド(自然派で有名なとこらしい)のペーパーバッグを
私が「見せびらかす」ように初めて会った時持ってたから、らしい。どれのことだったか、いまだにわからん。
誰かからもらったものだと思うんだけどなあ、、、
でも結局、私は今も「自然派」嫌い、いやはや、人のことは言えませんな、ハハハ。
子供が小さい頃の「母」の世界は今でも大変そうだな。