悪い事を悪いと言うと、、

柳沢発言について「機械に良いイメージがあるからあんまり悪い気がしない」と
北の国から」の純君口調的ややへたれな文体が味わい深いブログを読んで、思い出した「機械」イメージ。
うろ覚えで情けないが多分、レイブラッドベリの小説の中に「喜びの機械」って言葉があった。
「機械は喜びを製造できない、人間だけが喜びを製造できる」「人間は喜びの機械と言っていい」
この考え方は素敵だ。(でも本当に小説がこんな内容だったか定かじゃない、私の頭は「機械」じゃないんで)
「人間は滑らかに動く事ができる美しい機械」みたいな言い方をあるロボット学者か誰かがして
それはとても綺麗な言葉だと思ったけれど、私がやっぱり「機械」と呼ばれるのに生理的な反発を覚えるのは
「機械」って絶対誰かに「操作」されるもんだからだ。「機械」は「オーダー」通りに動かなきゃいけなくて、
それが出来なくなったものはもう「機械」じゃない、自分の意志を持って何かし始めたら
もう人間の「役に立つ」ものじゃなくなる。
産む機械なんて言葉にがたがた言うな」的流れは、なんだかなーとやっぱり思う。
わかってないよ、いくら「機械」に良いイメージがある、なんて言われても、
それって「操作」する側がとても心地よく「動かせられる」からじゃないのかな、
私だって、このあいだ充電を治したアイポッドがまともに動くようになって本当、嬉しい、と思ってるし。
「機械」ってそれを「所有」し「使用」する「人間」がいてはじめて「動く」ものでしょう?
どんなに大事にされても違うんだよ、自分の「意志」がないじゃない。それってものすごくやりきれない。
「性能」を愛してもらいたいわけじゃない、「機械」じゃないから。
昨日書いたものに何故か「フェミ」のタグがついてたけど私は生憎「フェミ」じゃない。
そんなくくり方は「フェミニスト」に失礼だ。人間を「機械」だなんて言うのは間違いだとあくまで言いたいだけだ。
ホワイトカラーエグゼンプションを忘れたかー!)
美しい国」の政治家は国民に自分達の「機械的」な理想を押し付けてきてる。
「理想的な父親」「理想的な母親」「理想的な子供」「理想的な家族」「理想的な社会人」、、
ならばせめて自分達政治家の方から一点曇りなき「理想の政治家」を国民に示してみてはどうか。
一言たりとも「失言」のない「理想の閣僚」のありかたを「美しく」見せてくれないか。
「理想」の「お手本」がなければ馬鹿な国民、「機械」のようには動けません。
「失言」するような「壊れた」政治家はいりません、「機械」だったらきっとそう反応する。
でもみんな「機械」じゃありません。だから色んな反応があるし、それでいい。
私はそういう事を一番言いたい。機械じゃないから、人間でありたいから。
機械の良いイメージと、機械と呼ばれる事とはやっぱり違います。「がっかりだよー!」ってそういう事です。
それから一番哀しく思い出されたのがまさしく「産む機械」化させられた「レイプキャンプ」、
思想的にも似てると思った。
「悪い事を悪いと言って何が悪い」と言う事すらも悪い、とブクマコメントで感じた。
なんかデフレスパイラルのようだ。
もっとも、「潔癖過ぎてこわい」と書く人を怖がらせるために書いているんですよ、私は。
「正しい」反応、ありがとう。
でも、フェミの人には一応「ごめんなさい」と言います。私は福島みずほさんは(辻元さんは微妙だけど)
そんなに嫌いじゃないんで、やっぱり「フェミ」じゃないです。
ただ、「ネット上でどんな意見も正当化できる」の認識を持って書きましたか、とは聞きたくなりました。
人から叩かれずにすむほどいつでも「正しく」ありたいですか?
柳沢発言が叩かれるのが当然なようにわたしは自分自身の意見も叩かれるのは当然だと思っています。
長くなるんで、まあ、ちまちまと、できれば明日に続く。(かな?)