悪い事を悪いという事。

ネットではどうも「産む機械」発言擁護論が「正しく」なりはじめているらしく、
私はネットのこういうところが嫌いだ。
たしかに女性議員の反応は機械的といっていいほどで、いつもの面々にうんざりする気持ちはわかる。
でも誰が擁護したからと言って柳沢厚生労働大臣の発言は「美しい日本」の政治家として
素晴らしい例えだと言えるか?
「文脈全体で見ればそれほど騒ぎ立てるほどのことではない」と言うのが「産む機械」論擁護の大半だが、
私はあれを全文読んでもあまりのへたれっぷりにむしろ「お前らが産めばいいんだよ、機械なんだからよー」
とでも言った方がスッキリしてよかったようにさえ思う。
「こんな言い方は失礼と思うが、、」なら言うんじゃねーよ、バーカ!と私は心の底から言う。
言うべきじゃない事をはっきり認識しつつもなお言う、その嫌らしさに気がついているのか、いないのか。
ネット上では「産む機械」にキイキイ言ってる女は痛い」が通説になるんだろうが、痛かろうが、
文脈では大した事がなかろうが、私はこの意見は政治家が言うべきものではないし、
そういう考え方をちらりとでも示す馬鹿な政治家は罷免要求も妥当だと考えている。
それにしてもどうして、ああも社民党の辻元さんや福島さんは嫌われるんだろう、
「あんなイタイ人たちと同じに思われたくないから叩いとく」みたいな女性には本当にがっかりする。
女性が女性を男性と一緒になって叩く姿ほど醜いものはないと私は思う。
私は多分、女性が男性に叩かれてたら、例えその女性が悪いと知っていても、女性をかばう。
正しいとかそういう事じゃなく、もうそれは生理的なもんだ、自分でも不公平だと思うが仕方がない。
それはともかくも、あの二人がでてきたおかげでむしろ柳沢大臣は命拾いしつつある。
その発言は正当化されようとしている。でも本当にそれでいいんかぁーっ!と私は言う。
それを許せばずるずると人間が「機械」、「国民」が国家機関の「機械」であるを許す、とまで発展しないか。
それを「考えすぎ」とまで言える根拠が今の世の中にあるのか、私には少なくとも見つからない。
柳沢大臣の発言は間違いだ。間違いを間違いだと指摘する事をどうして急に拒否しはじめるのか、
そんなに間違いを曖昧にしておきたいのか、そして「戦争は手段である」の認識も漠然と容認されていくのか。
「戦争があればチャンスがある」なんて思いつく、それははっきり間違いだと指摘する人間が
少なくなっているからこそ、教育さえもが迷走しているんではないのか。
どんな発言でも正当化しようと思えばできる、くらいの認識をネット上でモノを書く人間は
持っていると思っていたが、そうじゃないみたいだ。
書く事「のみ」でどれほどけむにまいたところで正しくない事は正しくないし、悪い事は悪い事だ。
それがわからないのならネットなんかしない方がいい。
柳沢大臣の発言はどんなに「痛い」女性議員が反応しようとやはり間違っていると私は「知っている」し、
「痛い女」と見なされても大いに結構、やはり許しがたい比喩だと書く。
私の好きなブログで一人だけきちんと柳沢大臣発言擁護を否定した男性がいたのをよく覚えておこうと思う。
この人は正しい。
今回、悪い事をちゃんと悪いと言える人はネットで一握りしかいないと痛感させられた。
全く「がっかりだよーッ!」