雑談。

先日、石原慎太郎都知事になって何年経ったっけ?と考えていたら、いきなりやめて、いやー、結局、誰がなっても同じ、ってな気がしたりして。
よその首長なんかに興味のない私は都知事といえば「青島ダァー!」くらいしか思いつかなかったりして、この人も辞めてから叩かれたなあ、
やめると叩かれる、ひょっとしたら命も危うくなる、のはお隣の国で、でも多分、日本もそうなるのかも、と時々マスコミの大騒ぎを見ていると感じる。
「窮鼠、猫を噛む」の言葉を時々、思い出す。追い詰められればネズミも猫を襲う。
大阪市長って、私の目から見れば、ほとんど窮鼠でしかないんだよね、もうどうにもならない、崖っぷちで常に戦ってる、
この人には自分の妻子とか、自分が守らなければいけないものはあっても、自分を守ってくれるものを持ってない。
自分を守ってくれるのは自分を大きく見せる自分の言葉だけ、言葉だけで常に戦ってきた人間なんだよ、私はそれをものすごく哀れに思う。
彼が政治家でなくなった時、彼や、彼がおそらくは死に物狂いで得た自分のまっとうな家族はどんな目にあうんだろう?
彼を動かしているのは、彼が今まで生きてきて、当然培わざるを得なかった恐怖、無情な世間への。
たいていの政治家、例えば自民党のメンツとか、石原家族とか、政治家をやめても、それほど世間を恐れずに生きていける、(むしろ政治家をやめたらホッとするかも)彼らは良家出身だしね。
でも「ハ○○タの本性」と出自を暴かれた彼の家族は、彼がもし、政治家をやめたとしたら、
残るのは「あいつの爺ちゃん、自殺したってよ」「ヤクザだったってよ」という、大変ありがたい世間の目だ。
全然そういうヒソヒソと関係なく生きていけると思うかな?彼の家族は。
だからもう、彼はむちゃくちゃであっても「勝つ!」以外、生きる道が見つけられないんだよ、そこまで彼を追い詰めたものってなんだろう?
ナチスとは、持たざるものを徹底的に追い詰めた末に生まれたものだ、との反省を先の大戦で理解したんじゃなかったか、
後ろ盾を持っていないものを徹底的に叩くのはいじめ以外、何者でもないと私は思う。
私は彼が嫌いだが、彼を哀れだと思う、その程度に理性的でありたいと、はてなの「賢者」の言葉を目にするするたびに、願う。
相手の立場を理解することができずに、ただ「正義」だけを振りかざず人間たちには飽き果てた。