子供を育てると言う事(一応終わり)

ホワイトカラーイグゼンプション」とか「正社員をパート並みに」とか、
要は優秀な人材を安く搾り取れるようにするってことなんだろうな。
また、教育で「社会のために役に立つ」を教え込んでおけばどんなにひどい労働条件でも死ぬまで我慢するように
「洗脳」できる、私の兄弟はあの時、転職していなかったら死んでた、と今でも言う、
だから少々気のあわない台湾人のこともお笑い(?)で我慢しているわけだ。
辞める時、兄弟は会社のえらいさんに一部屋に閉じ込められ、やめないようにわぁわぁ喚かれたそうだ。
どんなに脅されても辞める意志を示すといい年の上司は泣いて土下座までしたと言う。
それを振り切ると耳を疑う罵倒を聞いた、ってこれが言えないけど誰でも名前を知っているメーカーのしたこと、
使える人材はどこまでも働かせる、それに政府の御墨付きでもらいたいんだろう。
死んでしまっても「自己責任」なんだろうなあ。
本当なのかどうか私にはよくわからないんだけれど私の兄弟は「力があれば仕事なんていくらでもある」と主張する。
でも、彼らは理系、様々な資格もある。私なんぞ、今、全く一人っきりで子供達を働いて育てることになれば
簡単に「ワーキングプア」になるのを確信してる。
働くなら「猫村さん」と決めてはいるがトホホ、くちはあるかしら、時給はいくらぐらい?
知り合いのとこにきてる家政婦さんよりはちゃんと家事できるつもりなんだけど。
こんな時代に、子供を産んでしまった事を本当は後悔するべきなのかもしれない。
出産も、育児も突き詰めれば「自己満足」だ。私は二人の子供達と血のつながりで出会えた事を
感謝しているものの、子供達がどう思っているか、この先どう思うのか、私にはわからない。
いつか私は子供達に「なんでこんな時代に産んだ」「なんでお前が私の母親なんだ」と恨み泣かれるのかもしれない。
それに私はなにができるか、多分そんな事を言うまでに追い詰められた子供と一緒に泣くだけだろう。
でも、人がうまれるにふさわしい時代も、世界も、実は理想的な母親も、家庭も、有史以来存在した事はないんだよ。
私は自分が生まれて育った時代が素晴らしかったと、少しも思っていない。特に時代や世界はいつでもひどい、
「昔はよかった」なんて嘘だ。戦前の日本が美しかったとか、高度成長期の日本人は素晴らしかった、
なんて妄想だ。それぞれの時代、それぞれの世界で、大きな問題をかかえてきた。今でも、世界中でそうだ。
そんな中でも人間はやはり子供を産んで育てていきたいと思うんだよ、どんなに世界が乱れていても、
それがよくわかっていてもそう思う事、それは人間の大きな矛盾であるけれど、人間のもっとも不思議な「力」だ。
そうやって世界は、歴史は続いて来た。できればその世界の一部になりたいと思った事、
それに協力してくれる配偶者を得た事、奇妙な社会で子育てしていても楽しいと思える事、
おかしな時代に生まれても、そういう人間に育った「私」を「私」が否定しない事が、
再び自分の「子供を育てるという事」につながる。
忙しくてゆっくり考えたり言葉をうまく選んだり出来ないので他人にわかってもらえるように書けなかったが、
とりあえず、これで終わる。
「再チャレンジ」の予算はたったの「8」億円でもミサイル用(?)の防衛費は「1000」億円以上、
この内訳は「国防」の「機密」で一般庶民には知らされる事はないだろう。
それでも、「世社員がパート並みになる事を歓迎する」と書く「自称」弱者男性なるもの。
女が結婚したがらないとか、子供を作りたがらない事に私は心からの理解を示す。
私だって今若かったらどう考えるかわからないもの、
「結婚なんて、、」とうそぶく時代の方が出生率はよかったんだよな。
今、いくら「結婚、出産」を一つのステイタス化してもそれにのせられる人があまり多くない事を
政治家はもっと考えてみるべきだ。
親が子供から得られるものは「育てる喜び」で、子供が親から得られるものはその「命」だけ、
と書きたかった事を今、思い出した。一応しるす。おわり。