子供を育てるという事。(その2)

いじめ自殺をしてしまった中学生が受けた被害の一つに同級生達に無理矢理ズボンを引き降ろされた
というのがあって、私は中学生か高校生時代に見た「転、校、生」という映画を思い出した。
「おれがあいつがあいつがおれで」が原作で確か今三谷幸喜の奥さんの小林聡美が女の子と身体が入れ代わった
本当は男の子の役をやっていた。最後の方で、心は「女の子」の外見は「男の子」が仲間達にふざけて
ズボンをぬがされる、というひどいからかい(?)を受け、それを聞いて激怒した外見「女の子」の
実はその男の子の身体の持ち主が、やった連中に向かって暴れまくるシーンがとても印象的だった。
心は「女の子」の男の子がそれでどれくらい傷ついたか、恐ろしかったか、それを理解するようになった
「女の子」の「男の子」は今でも私の理想の男の子だ。どうも記憶が曖昧で本当にこんなシーンがあったか
不安なんだが、それを中学生の娘に話すと「そういういじめ方って昔っからあったんだ」と驚かれてしまった。
娘はそんないじめは死に値すると考えている。そんな不名誉をされてしまったらもうこの先、
生きてはいけないと思うのが当たり前だ、と真面目な顔をしていう。だからいじめ自殺してしまった子は
可哀想だ、耐えられない気持ちはよくわかる、と涙ぐんでいる。
ああそうか、私も映画のあのシーンが特別心に残ったのはきっと、そんな事されたら死ぬと思い込む子供だったのだ。
大人にとっては、忘れてしまっている鋭い感覚が子供と話しててよみがえる。あらためて、
死んでしまった子供のことを哀しむ。でもやはり死んではいけない。これだけは確かだ。
この映画を冬休み中に子供達とあらためてみようと思っているものの、ダーリンが持っているのはLDで、
プレイヤーを数年使ってないので動いてくれるかどうか、、とほほ。まあ、面白く思ってくれるかどうか、
今ごそごそとそのLDを取り出すとなんとも古いファッションで、この古さの方に目を奪われて
あんまり感動してくれないかもしれないなあ、そういや「カリオストロの城」がそうだった。
小学生の時見せて「あんまりよくわかんない」と言われてしまった。
最近になって何かのマンガの元ネタと知ってもう一回見たがっているんだが。
子供と話をしていて、例えばいじめ問題などでも「何故死ぬ?」とか「いじめから逃げろ」と言う事も
「いじめられる方も悪い」的ないじめを受けている子供を追い詰める言葉かもしれない、と気がついたりする。
子供の頃のことを鮮明に覚えているようでもその時考えた事は忘れたりするものだ。
「今」、成長しての感覚で当時をはかっている事に気がつきもしない、
それで子供のことがわかったつもりで話をしてしまう、この事を私も反省している。
「逃げろ」と言うのもまた残酷な言葉の一つだと、これはとあるブログでも書いている人がいて、
この人がもっとも子供に近い目線で「いじめ自殺」をとらえている気がした。
いかん、なにを書こうと思ってたか忘れている、とりあえず、ダーリンは「櫻の園」と「台風クラブ」を
娘にすすめていることをメモ。私はこれはどうも好きじゃない。私の周りにいた男性陣はなんでか
この二つの映画を大絶賛するんだが。
いそがしかったのでお気に入り周遊を怠っていて、久し振りに行ったコメント欄に余りに
馬鹿馬鹿しい意見を書く人を見てしまったのでそっちが書きたくなる。
なんで阿呆はこんなに香ばしい?でも我慢、とりあえず、多分明日も(続く)。