雑読、雑言。(その2)

内田樹先生の書かれる文章はエレガントだ。「おおっ、さっすがおふらぁぁんす専門」なんちゃって思う。
言葉の選ばれ方も繊細で、何気なく書かれる時も知識と知性が匂い立つ、大変素晴らしい書き手でいらっしゃる。
でも何故かフェミニズムに関して書く時、そのエレガントさをやや欠いている気がして、
先生の「ギャラントリィー」なスタイルが幾分か崩れてしまうようだ。
「ためらいの倫理学」は2001年発行だから書かれたものは大分古い、私は内田先生がアンチフェミニズムなのは
フェミニストに吊るし上げにあったからかとちょっと思ってて、でもそういう想像するのはあまりに下世話か、
と遠慮してたが先生は「アンチフェミニズム宣言」で容赦なく「左翼とフェミニストがぼくをいじめた!」と書く。
はあ、はあ、なるほど、アホげなアンチフェミニストブログがマルキシズムフェミニズムを重ねてるのは
これが元かいと、大体私が読むようなくだらなブログは内田先生がはじめて唱えたわけではなかったとしても
書いてあった事がほぼ先生のこの話に一致するので先生も罪な事をしてくれたもんだわい、と感心した。
私は先生は個人的に上野千鶴子さんが気に入らないんじゃないかと「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」方式で
フェミニズム」を嫌われるんじゃないかとちょっと思っている。
基本的に上野千鶴子さんと内田先生は同類ですしね、
「理屈と膏薬とはどこにでもくっつく」的に理論を展開されるところなどまったく同じ。
インテリ同士の喧嘩ですわい、下々のものどもがそれに影響される事など、まったくの茶番に過ぎないんですが、
最近の下々どもは身の程知らずですぐ先生方のたわいのない喧嘩に刺激される、
内田先生がアンチフェミニストだと宣言したところでそれは先生の個人的な趣向の問題で、
それを大仰に取り上げて「内田先生がこうおっしゃってる!」とまるで水戸黄門の印篭のごとくかかげられても
そりャー内田先生がお困りになるだけですわい、って誰か言う人はいないのかよ、
それはもちろん上野千鶴子さんに関しても言える事で、でも上野さんはわりにそういう事まで
自分のものとして受け止めていらっしゃるような(でもないか)。
上野先生と内田先生とは表現手法が違うにしてもやってる事は同じく論理の「力技」だ。
内田先生は「左翼とフェミニストは同じやり方でぼくをいじめた」「だから彼らは同じものだ」って
ちょーっとよく考えてくださいよ、そのやり方は無理めじゃありませんかね、って笑ってしまった。
説得力はもちろんあるんだけれど、内田先生の「アンチフェミニスト宣言」は話半分に聞いておこうと私は思う。
先生が「風水」を語る程度の「お遊び」で、何も内田先生がアンチフェミニズムだからと言って
その意見が正しいとは言えない。といって、上野千鶴子さんが絶対的に正しいとも思わない。
お二人に大いに活躍してもらってこそ、私達もまた、少しは啓蒙されると言うモノ、
ただ、これはどっちもどっちって、わからないといけないよな。私は内田先生も上野先生も両方好きだ。
どっちも正しくてどっちも間違ってていいと思う。
内田先生が「愛国心について」で取り上げられた教職員と教育委員会の板挟みになって
自殺された校長先生の話を、上野先生、内田先生、で考えてしまった。
「国旗、国歌」の「強制」か、「反対」か。でも死んじゃいかんです、校長先生。どっちも正しくて、
どっちも間違ってます。どうしてもどっちか、と言われてもどっちも選んじゃいかんのです、
どっちつかずになって、どっちからも恨まれても憎まれても、恨まれて憎まれて生きていきましょう、
と言ってもそれが許されなかったから自殺しちゃったんだよなあ、、こんな選択を迫るのは間違ってる!
最近、マスコミはなんにも言わんがどうなるんだ!「教育基本法改正」!!
「台風」で安倍総理の帰国が早まったのを「神風が吹いた!」なんて言うような危ない連中の
「公の精神」って何なんだ?そういう言葉を使わないのが「公衆道徳」じゃないのか。
北朝鮮拉致被害者の会のことばかり聞かされるのはやはり安倍総理がマスコミ操作してるんじゃないか、
なんて思う。残留孤児の方々への判決で「拉致被害者の方への支援に比べて」ってのに大きく頷いた。
拉致被害者のニュースはもうあきた。正直、つくづく嫌になった。
なんだか「だから教育基本法」を変えて憲法も変えて子供達を北朝鮮に派兵せよ!」って言われているみたい。
あなた方の子供が大事なのはよくわかります、でも私の今ここにいる子供達だって大事です、
なんで、徴兵制の準備段階みたいな「ボランティアーの義務化」なんて受け入れんといかんのじゃ!
なんか上野先生、内田先生の話とずれてしまった、この手の話については先生方お二人とも
意見の一致が見られると思う。だから私はお二人を好きなんだろうなあ、、