ちょっと長い雑談。

いかん、「ピュグマリオーン」は人形の名前ではなく人形制作者の名前であった、しかも私が大昔に読んだ本では
「ピュグマリオーン」とあったが多分「ピグマリオン」の方が一般的だ。人様のブクマからうっかり読んだ
たまねぎ男の「ウィーク」な憲法改正反対、なんて言葉に「脱力」してる場合じゃなかった。
「ウィーク」はもちろん「ウィークポイント」の「ウィーク」なんだろうが、私なんかどうしても
「ウィークリーマンション」とか転じて「週代わり弁当」とか思い出しちゃうもんなあ、
この方は頭が「ウィーク」なのか単に脳天気系なのかほとほと理解に苦しむ、まあたまねぎが
皮をむいてると思えばもうあまり腹も立たんが。とかいいながら私の言葉の使い方もあまりにいい加減なんで反省、
でも私は「アルファブロガー」じゃなく「オメガブロガー」の方だもーん、なかなか楽しい定義を見せてもらった、
人様のブクマを覗くのはやめられん。
昨日まで書いてきて、ふともう「女」つかって有効な場所って、今は「ネット上」しかないんじゃないか、と思う。
どんなに薄い内容の下らない話であっても「女」が書いてます、ってだけで取りあえず見る人は多いもんね
(私もそうだが)、今どきどこの職場でも友達の話を聞くに「結婚してる」「子供がいる」なんてのは
何の免罪符にもならんと言う。保育所のお迎えの時間がある、と会議を抜け出そうとしても
「旦那さんに頼め」なんて結構いわれるそうだ、頼める時は頼むけど頼めない時だってある、と
「母性の保護」ってのはこういうのに生かしてもらえたらいいのに、そうもいかんのかねえ、、
ネット上だけだよな、「女」とか「結婚してる」とか「子供を産んだばかりです」とかで
ユルーイ目で見てもらえるのは。私はつくづく思ったんだが、何かを正当性のあるものとして主張したい時、
例えば南京大虐殺はなかったとか、中国は非道であるだとか、そういうほとんど根拠のない話を
「一般人の意見です」とまことしやかにブログで流通させたい時、「女」で「結婚してる」とか
「子供もいます」とか、そういう個人的な「輪郭」の精度を高めておいた方が信憑性がますんだな、
と昨日まで書きなぐった「ねこまんま」氏のとこでよくわかった。私はあれを運営してる人は少なくとも30前、
と年齢くらいは嘘はないかと思ってたんだが、詳しく読みすすめているうちにどうも私とあまり年の変わらない、
或いは年上の男性が書いてるんじゃないか、という気がしてきた。興味のある人はあそこの文章の
これ見よがしに丁寧な女性言葉ではなく産経新聞とか「正論」を愛読してる40ぐらいのおっさんの意見として
読んでみてごらん、その主張がどれほどうすいものかよくわかる、まだ過激に無茶苦茶書き連ねる
他の右派ブログの方に好感を抱くようになる。法律知識にしても京大法学部卒の人間にしては
あまりに法律理解の「芯」がない、多分、そういう本当に知性のある人間を身近で見たことがないんだろう。
そういう人間が周りにいる環境が必ずしも恵まれていると私は思わないが(トップエリートは往々にして傲慢だ)
でもその勉学や知識に対する並外れた熱意と真摯さにはやはり尊敬の念を覚える。少々日常生活が
阿呆であろうとまあ、仕方がない、面倒見てやるよ、って気になる。私の知り合いの京大法学部卒司法試験一発合格、
京大大学院卒業後アメリカのロースクール留学、の人は学生時代「オレは日本を代表する知性だ」なんて
酔っぱらうとしょっちゅう言ってた。まーそのとおりなんだろうが、そういう人間に「お前は馬鹿だ」
と言われるのは全く腸が煮えくりかえったもんだ。酒が抜けると謝るんだけどね、阿呆です。
今は地方の大学の先生やってるけど。いい人です、酒を飲んだ時以外は。でもその人の法律に関しての熱意は
すさまじいとさえ私は思ったし、またそこまでのエリートコースじゃないにしてもやはり旧帝大法学部卒業生とは
全然別格の知識人ですよ、「ねこまんま」クンが本当に実在人物で京大法学部卒だったら
私は自分の実名公表しますね。あそこの運営者は文章を書く訓練を受けてきた人だけど
知性や教養のある人ではありませんな、ブログが長く続いている秘訣は多分設定の成功でしょう。
ただ、この作成者に限らず、ネット上で、「知性」があまりに軽んじられている風潮を私は嫌だと思う。
「知識」を「武器」のように用いその「知識」の精度を高めるために骨を削ってきた一握りの「知識人」のあり方を
馬鹿にしているような、そういう感触を私はたまねぎ男一号二号や「ねこまんま」に対して覚える。
たまねぎ男達はまだ可愛げのある方だけどね。
ネット上では後世に残すべき「知識」を得る「知性」を持つ、限られた人間達の周りにその「知性」を支えるために
協力する無数の普通の人間達もいることを知らないと思う。私は多分そこに一番腹が立つんだろう。