雑談。

そういや教育基本法改正衆院通過予定日はボージョレヌーボー解禁の日じゃないか、
なんて庶民をおちょくった発想だろう、
ボージョレヌーボー解禁日にあわせてそっちをマスコミにやらせておけば反発なんて楽勝ー」、
それで議員宿舎ボージョレで乾杯?キー、火をつけてやりたい、
でも多分そういう流れになってしまいそうないやな予感、、ところでうちは今年はボージョレを予約してません、
よく考えてみたらそれほどヌーボーが好きってワケじゃないんだもの、去年ヌーボーとはいえども
「酒」のヌーボーでお口の中でピチパチするちょっと甘めのをのんで美味しかったのでそれを予約する。
日本人だもの、毛唐の文化になどつきあっていられませんわ、ホホホ、、と、空元気を見せたところで、
本当にこの国はどうなるんだろうと落ち込んでしまう。この間私がついキレてしまった
「家畜化」のどうのの記事の検索記録があって、辿ると「お尻を自分でふけない」の「朝御飯を布団で」のと、
一体どうやってそんなお珍しいご家庭を見つけてきたのやらはなはだ理解に苦しむ例が
ちらっと上がってたのを見つける。トホホ、人口に占めるパーセンテージが1にもみたないような
おかしなご家庭を例に出して「だから教育基本法をかえなければ!」なんてやられてもなあ、、
とあるブックマークから以前小熊英二さんについて教えてくださった方の「学校マクドナルド化批判」を読む。
この中に出て来るコンビニでたむろする若者集団の一例を読んで思うのは、確か10年程前
ジベタリアン」なる言葉が流行って、やはりどこにでも座り込む若者ってのが取り上げられたことだ。
それを聞いた私はたしか英国から帰ってきたばかりだったので、日本の若者も「国際化」したな、
とちょっと感心した。私が向こうに行ってまず驚いたのは皆平気で路上に座り込んでものを食ったり
談笑する様だった、それが当たり前の風景になって見なれるとどうってこともなく、私も路上に座って
ものを食べたりしたこともある(さほど楽しい経験ではなかったが)向こうではちょっとした公園と言うか
広場みたいなとこがあってそこで皆たむろっていて、日本の場合、そういうスペースがどこかにあるかというと
今は全くないんで、店の周りにたむろすることになる。「昔の若者はこんなことしなかった」と
「昔の若者」は言いがちだけど、いわゆる「のびたクンの空き地の土管」みたいなスペースが
昔の人にはあって今はないから店の前にたむろする、になるんじゃないんですか?
「今の若者」が悪くなったなんて決して私は思いませんね。
「近所のガンコオヤジ」になり損ねたオッさんってのはもう既に自分の若い頃を思い出してみることの出来ない
「へたれ」ですから、私はまともに相手する気になれませんな。
(私はこの方の書いてあることにほぼ同意です、内容とずれてるけどふと思いつたので。)
ところで随分熱心に私の個人情報を探ってくれている方がいらしてハテ、お探しのものは見つかりましたでしょうか、
ごめんなさいねえ、私、メールアドレスもアンテナも非公開なのよ、コメント欄汚しもトラックバックもしませんし、
ブクマもしてなくってねえ、、探られて何かわかったことありました?
なんだか「必死だな」って言葉が思いつくくらい、一生懸命されていますね。
ダーリンは、君の「敵」がやってるんだよ、なんて思わせぶりなことを言ってくれますが、
すみません、敵が多くて心当たりがありません。御用があればコメント欄にどうぞ。