「老害」による「イマドキの若者論」は

いつになったら滅びてくれるやら。
「その「若者」像はいつのもの?」と言いたくなるようなしろくま説を読んで、この話に納得する人たちは「3年前の若者はもう若者ではない」がわかってないのだろうなあ、
というか、「1年前」の若者も実はもう「若者」ではないのだよ、「若さ」とは「早さ」でもあるからね。
「こうなんじゃない?」と統計を取り始めてその集計が終わった頃にはその「若者」は存在しないのよね。
そういうのは自分が子育てでもしていると、分かりそうに思うんだが。しろくまに子供はいないのかね?
いてもまだ「幼児」なのか、40前後の勤務医でも子供はまだ小さい、ほんの20年くらい前なら40代の勤務医の子供たちは高校生、大学生だったのだよね、
それで多少は「中年」である意識が保てた、でも今は、いつまでも「若いぼくら」なんだわ、子供っぽい年寄りが山ほどいる。
「イマドキの若者」の不幸は、彼らがまだ子供だった頃でさえ、子供向けのアニメやイベントに「大きなお友達」が既に我が物顔で出没して子供を押しのける、
その異常な状態が成人前後になっても続いている、「少子化」の最大の不幸は、その弊害をなんの罪もない子供自身が引き受けないといけない点だな。
私ら中高年がのたれ死のうが何をしようが正直「自己責任」だが、その「後始末」をどうしても若い世代が引き受けないといけない、
それなのに「イマドキの若者は、バブル時代のデートスタイルに未だこだわって恋愛しようとしない!」なんて根も葉もない妄言を押し付けられたりして、
今の私の子供世代に、男の子が女の子をおごってあげる、なんて「文化」は男女双方にないですよ?
「デート」はとっくのも昔に「割り勘」か「ある方が払う」になってる、男の子が女の子に出してもらうことになんの抵抗もないようですわ。
それを知ってる親世代は、なんでこんな馬鹿げたことをしろくまに知ったかぶりで書かれなくちゃいけないのか、さっぱりわからんわ。
またきっと本を出すんでしょうなあ、、、ショーもない、推論ともっともらしいなんちゃってデータを適当にいじって、なんか言ってるの、
しろくま精神科医らしいが、社会学者ではないことに、いつになったら、はてな民は気が付くのやら。
こういうのを野放しにしているから、人文系ってますます衰退するんだと思うわ、しろくまはもうちょっと本業に精を出したほうがいいんじゃないかしらね。
もし、私がしろくまの書くもので読むとしたら、彼の育児日記かな、子供がいるとしたら、どのようにお育て遊ばしているのか、とても気になるわ。
本当にいるのかね?全然、その手の話がホットエントリには上がらないんだよね。
「こうすべきだ!ああすべきだ!」とわかったように書いている人間が自分の子供に関しては、
自分で「ヤッちゃいかん!」と言ってるようななことを平気でやってたりするから人間は面白い、
その結果が必ずしも「悪く」は「ない」、これをもっと知らしめることこそ、本当は社会の役に立つんだが、
ま、しないだろうね、常に人間は迷わせておいたほうが「本は売れる」、「それでぼくちんの承認要求達成」ってか?
数年前に女子高生だった子が「今の高校生は」とかつての自分を語っても、それはやはり数年前の「自分」でしかないし、「今」とは違う。
それが分からないでいることを「劣化」と呼ぶ。「成長」ではないのよね、「わからない」が「わからない」だから。
10年後、しろくまは何を書いているのやら。既にテレビには出ているらしいので、5年後ぐらいには、テレビコメンテイターとして出ているかな。
「ネット」の人の「あがり」は結局「テレビ」なのよね、そういう現実、なんだかねえ、、