教育バウチャー制度とか、、

先日、とある会で昔の知り合いと偶然顔をあわせた。私の母校の進学校に勤める先生の奥様になっていたので、
「上の娘がそのうちお世話になります」と言うと「えっ、ひょっとして○中いってんの?」と驚かれてしまった。
その前に住んでる所を聞かれて、あれこれ世間話を続けていたんだが彼女はてっきりうちの子供も
自分の子供と同じ私立に行かせてるもんだと思ったらしい。私は彼女の御実家も嫁ぎ先も地区では
有数の良家であることを知ってるので別に公立校の先生の子供が私の近所のお金持ち私立に
わざわざ遠くから行かせていることには驚かなかったが、彼女のそぶりから、うちの中学から入学した子達の
出来の悪さをしょっちゅう旦那さんがこぼしてるのは何となくわかった。
少子化ゆとり教育のために昔なら信じられないレベルの子供も地元で憧れだった進学校にも入学している。
そうした中でも同じく我が母校である地元中学出身者は出色の出来だろう。
旧帝大出の御主人様では扱いかねるに違いない。
悪気はなく地元の中学に行かせていることに驚かれるのには本当に困る。
住んでる所でうちなら多分私立にいってるだろう、とよく推測もされるし、
「あそこに通わせるために引っ越したんでしょう」なんてもよくいわれる。
ひどい場合だと、子供の出来が悪いから行かせられなかった、とまで、聞こえてくる。
そこまで言うか?私の母校なんだよ、その中学は。出来が悪いのは伝統なんだよ、何が悪い。
その中でちゃんとやってる子も結構いるし、まともにがんばってる子が実は昔からほとんどだ、
なんでそういうことに目を向けてくれないかなあ。
確かに公立校はどこでも一時期荒れていた、丁度一番不景気だった頃が凄まじかったように思う。
でも今は少し落ち着いてきている。多分、子供達も親も貧乏がいたについたせいだろう。
色々騒いだって仕方がない、景気は戻りつつあると言うからそこに少しは希望も見い出している。
私は結局、学校の荒れとは、世間の荒れだと思っている。そして世間が落ち着いてた時期なんて
未だあったためしがない。穏やかな社会なんて、それは生きてる人間の住む世界ではないからね。
朝日新聞の今日の論点で教育バウチャー制度の是非が取り上げられて、
これは大阪大教授の志水氏の言う通りだと思う。
ワタミ社長の、子が親を殺す、など妙な例を挙げて話をする人の主張することはとてもまともとは思えない。
それは今にはじまった話ではないのだから。親が子を殺す、子が親を殺す、残念ながらいつの時代もどこでも
あったことだ。しかもやはりどの時代でもレアケースだったから色んな話として残っている。
競争で創意工夫盛んに、とはわけのわからない「美辞麗句」だ、申し訳ないがワタミ社長は働かせる側として
都合のいい論理を御自分の学園で押し付けているのではないかと思う。
私は勉強だけを学校に望んでるのではないからあえて地元の公立校を子供達に選んだ、(と言うと語弊がありますが)
もちろん勉強はやらないよりやった方がいい。でも将来何がなんでも東大にいけ、なんて私は思わないし、
そして自分から東大に行きたいと考える子は、その能力さえあれば公立からだろうがなんだろうが
必ず行けると知ってるので公立校に行くことで将来が閉ざされる、とは思わない。
環境を子供のために整えるのも親の役目、とは耳が腐って落ちるほど聞かされたが、最悪の環境から
サバイバルで勝ち上がって来い、ってそういう親もいたっていいじゃないか、
(いや、別にそこまでひどくはないんですよ、うちの学校)不愉快なことを沢山見て、されて、
大人になってもそのことをあれこれ考えてみて欲しいと思っている。そして様々な環境にいる同級生の行く末を
いずれ知って欲しいとも思う。人間の面白さ、哀しさ、素晴らしさが絶対わかると思うから。
私の母校は本当に外からの評判が悪い。だから気のきいたご家庭は近所の私立に行かせたがり、
もうすでに教育格差がある。しかも私立のなんたるかをよくわかってない親が子供を無理に行かせるので
その弊害が現れてもきている。それにさらに拍車をかける「私立=いい学校」的視線による
教育バウチャー制度は容認できない。もう既に、うちの中学など確実になくなるな、なんて言われはじめている。
跡地はなにになるのかな、軍事施設?と実家の親はのんきに言う。
中学の隣に住んでるんですけど、うちの親。(全く、もー!)
私は自分が出た中学が「悪い学校」だと決めつけられるのは我慢できない。
どうしようもない学校でも愛している気持ち、とはどうやったらわかってもらえるだろうか、
それは出来の悪い子供であっても自分の子供だから愛するという気もちと同じだ。理屈ではない。
そりゃ悪いままなのは困る、でも今「悪い」と言われて、だから「なくす」ってことは正しいことか、
それで本当にいいのか。
愛国心」もそういうもんじゃないかと思う、どうしようもないへたれ国家であっても、仕方がない、
なんとかしつつ、やはり国を維持していこう、と言う心、面倒見てやるよ、私の国だし、みたいな。
正しくはないのかもしれない、私が持つ気持ちは。でも、私は「愛着」とはそういうもんじゃないかと思う。
北朝鮮が核実験を行ったとかでワサワサしている。なんとも独自路線を貫く国家だなあ、
上の娘が北朝鮮は昔の日本みたいだと言った、今、太平洋戦争当時を勉強している。私もそう思う。
悪い国だと思うが、追い詰め過ぎたのでは、と昔の日本を好きな人は言ってあげてもいいんじゃないか。
そんな気がした。