従軍慰安婦の話。

気になる記事と言えば従軍慰安婦問題についてまた「愛、蔵太」君が香ばしい突っ込みを入れていたので
フーン、と思う。私がこの手の人が嫌なのはこういう人の愛読者って基礎知識に欠けてるような人が多そうなので
これだけ読んで「やっぱり従軍慰安婦なんていなかったんだ」と思ってしまうんじゃないかと心配になる。
「愛、蔵太」君が従軍慰安婦はいなかった、なんてトンデモなことを思ってるはずはないから、
ただ、「強制」であるか「公的」なものであったか、なんて、言わば「言葉遊び」的なことをやって
人をけむにまく、文章力はなみの人間よりあるだけに腹が立つ。
「でも、わからない」と書く人の方が理解できる。私も従軍慰安婦問題について口汚くあれこれ言う人って嫌いだし。
そんなことまでやって日本が「清らか」な国だって主張したいかねえ、さもしいといおうか、情けないといおうか。
従軍慰安婦の存在ははっきり確認されてるのはもう誰でもが知ってることだと思うし、
そうした存在に地域差があることもほぼ確認されてる。(と、私は受けとっている)
従軍慰安婦問題について私が一番不愉快なのは女性でもこういった気の毒な女性を平気で罵る輩がいることで、
されたことに痛みを感じなければいけないのは女性であるべきだと思うし、たとえどんな状況で
そういうことになったにせよ、やはり不特定多数の男性を相手にしなければいけない環境への同情は
女性ならあって当然だ。好きでそんなことする人は絶対にいないと思うよ、いたとしたらビョーキだ。
日本兵はビョーキの人を相手にしてたのか?ああ、やだやだ。
女性でこういう哀しい他国の女性達を蔑む人たちの根底にあるものはやはり個人的に何が何でも
自分を「よく」見せたいってところじゃないかな、
従軍慰安婦みたいなものを否定する私=清らかな存在、従軍慰安婦=汚れた存在」みたいな。
その「清らか」「汚れた」って感覚がなんであるかって言うと、単に男性から与えられたものに過ぎない。
私はそういうことをしていないから美しいの、ってそこまでして自分をよく見せたいか?
と同じ女性として恥ずかしくなる。「清らかさ」が「男」の「数」で、自分を本当にそれ「だけ」で
「清らか」に見せたいのなら、つまり私はモテません、って言えばいいだけだと思うけどね。
でも、そういう人に限ってフェミニズムはモテナイ女の僻、とかって言ったりする。なんか変なの、
そこまでして男性におもねらないといけないんなら、
まー、少なくとも本当に「モテる」女のすることじゃーありませんね、なんちゃって。
「汚れた」って感覚が男性の「力」によって与えられたものならば、それに抵抗する同じ「力」をもたない
女性として本当に空しいと思うべきで、自分ではどうしようもなかった存在に唾をはきかけるような、
そんなおかしなまねは慎んだ方がいい。嫌だったって事を今やっと言えるようになった気の毒な人たちを
私は汚された人たち、とは決して思わないし、させられることが半ばわかってたとしても
やはりつらかっただろう、と言いたい。それが本当の「大和撫子」のあり方じゃないのかな。
その存在の哀しみをもっと深く考えるべきだと思う。
「強制」である、ない、より気の毒な人たちに自然な同情心を寄せる男性がいるのには救われる思いだ。
少なくともそういう男性は女性を「汚す」存在ではないのだから。
「自爆」「オウンゴール」ってなんなんだよ、全く。人の痛みはそんなもんじゃない。
自国の女性の痛みに同調する韓国人の方が立派だしその姿勢に理解を示す日本人の方が
「知識」があるのを「自称」するよりはるかに素晴らしい。