小熊英二、「民主と愛国」を読み終えて。(おしまい)

「民主と愛国」を読み終えてそれぞれ取り上げられた思想人達の軌跡がそれぞれ「生」を模索したものであると思い、
ふと大昔の中島みゆきのアルバムタイトルを思い出した。
「生きていてもいいですか」。ううっ、暗い、、この暗さが私が思想や戦後、と言われるものから
目を背ける原因になっていた気がする。(私は中島みゆきが苦手だ)
太宰治の「生きていてすみません」(だったか?)みたいな、私は生きるのに人の許しなどなんで必要なのか
全く理解できない人間なので(これは私個人の性向か、或いは世代の傾向か?)
獏とした圧迫感のある「戦後」と言う言葉が嫌いだ。1960年代末期ではあっても昭和40年代生まれの私は
今ブームらしい昭和30年代などなんかビンボ臭くって嫌だし、なんだか妙に生活の不自由さをごまかして
美化するのって違うだろう、って思う。私がうまれる前後、そしてもっと前の時代からあえて私は目をそらしていた。
わけのわからない熱気みたいなものが私が物心つくようになって学校時代も教育に粘りついていたし、
私世代はそういうものから逃げ切るために今まで生きてきたんじゃないかと最近考えている。
「左傾偏向教育」が施された、なんてそれをやってもらったにもかかわらずその教育が
全く身ににつかなかったらしい人がネット上に多く見かけられるものの、私などは全く左傾教育など受けていない。
むしろ、そういう「仮想敵」みたいなものに文句を言う「右翼教師」が中学校には多かったし、
高校でも担任の女教師が「日の丸、君が代」大好き人間だった。私の高校は元旧制中学だったので
少しバンカラ風味が残っていて自由な校風が地元でも誇りとなっていたが、故にクラスの宿泊研修で
「皆さん、日の丸は世界で一番美しい旗ですよ、君が代をうたって万歳するのは日本人の証です」
と寝る前にそれを強制する担任の国語教師の存在が許されていた。
(ちなみにこの女性教師は三島由紀夫小林秀雄の愛読者だった。どこかの宗教信者だったので
気に入らない生徒には「いつか神様の罰があたる」なんて言っていた。)
どうもその先生は自分の青春期の学生運動に反発していたようでしょっちゅう、授業中、
わけのわからないうわ言を言って脱線していて私達はかなり学生運動にはうんざりさせられた。
つまりそういう運動さえなければこんな変な先生にならなかったのか、なんて無邪気な目で先生を見守っていたのだ。
(それ以外でもかなり奇行が目立つ先生だったので違うと、今はわかるが)
「お前達に戦争はわからないだろう」と言う恨みつらみのようなもの、そういうものを背負わされて
私世代は成人して、今振り返るのに、いわゆる「バブル」時代もまたそうした「戦後」への
一種の反発現象だったんじゃないか、と思う。(これは誰かがもう書いてたな)
「戦争を知らない」罪を担わされた私達のささやかな反抗、「知らない」事を「悪い」と思いつつも
何も出来ないもどかしさが、刹那的で唯物的なあの時代の「思想」となった。でも結局「戦後」をふりきることなく、
私達はまた「戦後」に否応なく向き合わされている。「戦後」はまだ終わってはいないのだ。
時代はバラバラに区切られたものなどではない。
小熊英二は自分は「のりしろ」の役目を果たしたい、と言っているそうで彼は間違いなく自分がしたいと思うことを
ちゃんと出来ている人だと私は思う。過去から目を背けるな、とは「右」からも「左」からも聞こえてくるし、
かしましい「過去」も常に呼び掛けてくる。でも私が過去の呼び掛けに立ち向かおうと思うのは
「未来」からも過去を見つめるように囁きかけてくるからだ。過去をもっとも必要とするものは「未来」だと、
私は子供を持つから知っている。何も知らないでいるから不安な子供達に過去の人間が敗戦、
或いはその前段階である奇妙な「教育」を施されてどのように苦しんできたか、親が知る必要がある。
過去から引き続く「今」が「未来」にできることは
「教えられることからも常に少し距離を持て」というほんのささやかなことを子供に教えることだ。
「左傾偏向教育」が嫌だったという人もこれを学んだ、と思えばいいんじゃないだろうか。
もう「騙されない」ですむ。
小熊英二の本の内容とはかけはなれるがそうした「感触」を子供達にも与えてくれる「良書」だと
私は「民主と愛国」を評価する。小熊英二の世代だからもてた「戦後」への距離感やまなざしは
その膨大な資料共々信頼できるものだ。彼の「論理」はくずせるものなどではない、
彼があらわしたものは時代をつないでいく一面の「事実」であるのだから。
ところで鶴見駿輔が「ガキデカ」を好きだったのに最後の方にふれていて、私はふと安倍新総理の言う
美しい国作り」とはガキデカの「八丈島キョン!」並みに意味のないフレーズだな、と思った。
私はとても生暖かい目で新総理を見守っている。「戦後」は終われるものではないと今はもう知っているので。
(中途半端だけど、くだらないブクマを沢山されるので馬鹿馬鹿しくなった、で、おしまい)
「たまねぎ」にあたって下痢したのではじめ書こうと思ってた内容から懸け離れました。大変残念です。