いい先生って、どんな先生?

私には「いい学校」概念もないんでついつい教育改革を熱く語られる方にいちいち聞いて回ってみたくなるのが
この「いい先生」って奴。「悪い教師を追い落としていい先生だけのこそう!」って
まあセクハラ教師なんぞは論外だがこの「いい先生」の尺度はどこにあるんだろう、誰が一体きめるの?
国歌斉唱をするかどうかで?どうも「いい先生」「悪い先生」って概念が私にはふにおちない。
「いい親」「悪い親」ってのだって誰がその尺度をきめるのか、それを決める人は果たして
「いい人間」?「悪い人間」?それを判断するのは一体だれ?自己申告?じゃあ私なんてブログやってるし
悪い親なのかも。そういや私の事をおぞましい親、なんて言ってたやつがいたな、finalventに御墨付きでも
もらってるのかな、他人をそのブログのコメント欄で罵る権利を持つ程、そりゃー間違いなく
素晴らしい「人格者」なんでしょう。
(興味のある方は、七月の半ば頃のうちのブログをおさがしください、すごい時間の無駄が出来ます)
さて、いい親であると言う自覚はないし、国歌斉唱はするけど心からするわけじゃないんで
私は将来「悪い親」として拘束されるのかもね、そして私が産んで育てた子供は「悪い子供」かな、
上の子は少なくとも「公立中学の星」とまでいわれてるんだけど。(ま、これはお世辞だし)
どうもこの「いい」「悪い」がうさんくさくてたまらない、大昔あった欽ちゃんの
「いい子、悪い子、普通の子」ってのを思い出す。あれにはまだ「ふつう」ってのがあったけど
学校の先生の場合「普通」ってのは許容範囲内なのかな、私の知ってる先生方はほとんどの方が
「普通」なんだけど。よくもなく、悪くもなく、大体が「普通」。だってそうならざるをえないもの、
色んな子供を見るんでどの子供に対してもいい先生だなんてありえない。相性があるのは「普通」の事だ。
でもどの先生方も特別誰かをいじめたり、嫌がらせをしたのを聞いたこともないし、贔屓だってほとんどしない、
ほめるのだってかなり遠慮がちだ。私を罵倒するのに私の実生活の子供達を使うことに躊躇がなかった
電波馬鹿にとって私は最低の親なんだろうが不思議なことに私の子供達は先生達にウケがいい。
ごめんなさいね、実は私も、先生にとてもウケのいい親なの、だって学校に文句言ったことないし、
PTA役員だって頼まれればいやがらずに引き受けるし。ある人にとっては「悪い」人間であっても
必ずしも別のある人たちにとってはそうじゃない、むしろ「悪い」と言われるだけ
「いい」と言われる人だっている。そして平均すれば「普通」になる。ほとんどの人がそうじゃないのかな、
完全な人間なんているはずがない。ましてや完全な先生など、有史以来いたことないんじゃないのかな。
ヘレンケラーにとってサリバン先生はいい先生だった時期もあるけど、サリバン先生が万人受けする先生だったとは
思えない、種痘を施したと言われるジェンナー(だったか?)だってありゃー、初めて種痘された子にとっては
とんでもない先生(医者だけど)なわけだし、誰にでも「いい」先生なんているわけがない。
不思議なことに私はどの先生も「悪い」とは思ったことがないんだよね、どの先生もそれなりに
一生懸命してくれるし、今以上のものを望むことははっきり言って、ない。確かに指導力に問題ある、
と言うか上の娘が一生懸命授業を聞いてても何を言ってるのかさっぱりわからない先生、てのがいるが、
私は娘に、先生に文句を言うことは許してない。「先生」は「先生」だから、その建て前を、
「生徒」としての「本分」を忘れるな、と言ってある、それに先生の技量を見分けられるほどの目を
あんたは持ってないはずだから(たしかにかなり問題のある先生だと私も思うが)、とそれで子供は
とりあえず納得してるし、そういう先生でさえ、上の娘のことは高く評価している。
他人からの評価ははこちら側の出方によっていくらでもかえられるものだ。
私は教師になるまでの志を持った人たちを安易に「いい」「悪い」なんて評価を下す人の精神状態をいつも疑う。
その根拠は何か、あなたは誰に評価してもらってるのか、そしてその評価は正当なのか、と思う。
先生が他人からの評価ばかりを気にするようになるなら、生徒達にいい影響はないだろう。
先生は「普通」で十分だ。
七月半ばの一件は私の書いたものに先に挑発的なブクマコメントをのこしていった相手がどういう人間なのか
ラクして確かめたかったので、下らないと思いつつ満足している。ネット上で誰をどれほど尊敬していようと
実生活に存在する子供の事を使ってまで私を罵倒する資格など彼にはないし、また、海外で実際に受けた人種差別と
ネット上の言葉とを同じ重さに感じる彼のあまりの馬鹿さかげんには誠に感銘を受けた。
自分の妄想と実社会との違いが全くわからない人間だとこれほど自ら晒してくれたのに「感動した!」
(時々見にきているようなので、読者サービス。)
私の好きなブログにまたショーもない、自分をやたらと飾りたがるブクマコメントをつけていたのを見かけたので
まー、いい加減にするこっちゃね、と一言。頭の「不自由」さがまたいちだんと光ってたよ、よかったね。