雑記。

「あの学校は悪い」という学校で育った東野圭吾中場利一の「あのころぼくらはアホでした」とか
岸和田少年愚連隊」を読んで、あー似たような学校は昔ッから沢山あるんだなあ、と思った。
私の卒業年度が特に悪いという噂で友達が飲み屋で親しくなりかけた男が卒業中学と年度をいったとたん
すーっといなくなった、という経験を教えてくれた事がある。「ま、そういう男という事よ」で片付くけど、
私は以前とある奥様会で「(私の名前)さんって、○中出身なんでしょー」なんて
ニコニコしながらいわれたことがある。「そうですよ」と答えたんで不満だったらしく
「すごく怖い中学だったんでしょう、大変でしたよねえ」と口ぶりではどうも私の育ちが
悪いのを皆に知っていただきたかったようだった。(が、その奥様会でもっとも力のある方が
実は私と同じ中学出身だったので、意味なく他人を攻撃する人は稀に地雷をふむ事もある。)
また、これはたまたまダーリンの職場にいた私の同級生が「ぼくが○中出身って事は黙っといて」
なんて宿舎で私にこそこそ頼んだりして、なんかさびしーなー、何でここまで自分の出身中学を
隠さんといかんのじゃ、アホやなー、ではあるが、ま、無難な考えである事は認めざるをえない。
妙な色眼鏡で見る連中は確かに多いもんね。
地元の学校が悪いとは地域が悪い、ってのは重々承知しているが、なんで地域が悪いなんて、
住んでもない人間からいわれんといかんのじゃ、って意識が私にはある。嫌なら他に住めばいい、と思うしね。
ただ、じゃあ、と他に行って、「あそこはひどかった」なんて言いふらすのは卑怯モノの遣り口以外何者でもない。
私も元転勤族の妻なんであれこれ、こりゃートホホ、と思う事も沢山あったが、それでもそこに住む人がいる限り、
そして少なからずお世話になった限りあまり悪口はいっちゃあいかんなとは思っております。
どんな僻地であれ、やはり悪い事ばかりではなかったし、そこから抜け出す事が出来ない人もいるのに
その土地を悪くいうなんて間違ってると知っている。
「悪い」って結局他人が「理想」を何かに押し付けてそれにあってないから「悪い」っていってるんだと私は思う。
教育改革の指針とかを読んでも要は「オレ様の思う通りに動き、考える人間になったらいい」と言ってるようで、
そうしないものを「悪い」と一方的に決めつけてる視線を感じて息苦しい。
ところでいつも楽しみにしているブログの方(ただ今新邸御建設中のよう)が、南京大虐殺に関して
面白いエントリをだしてるのを読んだ。「なかった」なんて思う日本人が増えたらどんなに海外で恥を晒すか、、、
私なんてねー、初めて英国で「レイプオブナンキン」って聞いて、
「何を毛唐が「ヤマトナデシコ」に向かって「レイプ」などと、無礼モノ」なんて思ったもんね、
(「レイプ」を「強姦」としか訳せなかった、、実話です)
「やった事はすぐ忘れる下劣な日本人」と言われてしまうわけだよなあ、、
靖国に行ってチャラチャラするバカップルを笑えない私。とほほ。