最近の読書。

図書館で中村うさぎ石井政之対談「自分の顔が許せない!」と上野千鶴子「女という快楽」を借りてくる。
「自分の顔が許せない!」は、「私という病」や小倉千加子さんとの対談「幸福論」より、面白かった。
と、いうか中村うさぎさんが求めているものってすごい。先日、ダーリンが中村うさぎさんについて言った
「この人は真剣に哲学している」にブクマがついてて、それも哲学を専門にされている方が「同意」とあったので
「えぇえぇえぇー」と思ってたんだが(うちのダーリンは完全に理系の人なので「哲学」には
ほのかな憧れをもっていて、今彼が持ってる知識は完全独学だし、「また言ってる」ですませてた)
ウウム、ダーリンの方が「真理」に近かったか、、私はフェミニズムとして中村うさぎさんを見てるつもりだけど
(そして「美容整形」とか「デリヘル」とかに行かれて、ああ、もうついていけないけど、頑張れ、
見守ってるから、になってる)本当は違うんだなあ、きっと私が見つけようとしてない、見つけようとも思ってない、
無知であるがために全く見えてない「何か」を中村さんは探ろうとしてるんだなあ、と知った。
確かにダーリンの言うとおり中村さんは真剣に「哲学」しているのかもしれない。
私は大学の一般教養で哲学をやったけど「大変難しいです」と言う事がわかったのみに終わっている。
それでいいんだと思ってる傲慢さを反省。この本はできれば感想をまた別に書こう。
(でも中村さんを書く場合、自分を同じように剥ぎ取らないといけないのでぶざまになるのがわかってるので
書けないで困る、しかし、今以上の馬鹿を晒す事こそ本望じゃないのか、自分!!)
で、上野千鶴子さんの本。これはかなり昔に書かれたものを「新装版」にしているので、
上野さんが御自分の「言い訳」を前書きに書いてある。最近、上野さんの旗色がどうも悪そうなんで心が痛む。
私は上野さんがとても好きだ。この方は突き抜けてすごいと私は思う。他の思想の枷をあえてぶっちぎる、
書いてきた事、やってきた事に、中途半端さはない、と全部の本を読んできたわけではないけど感じる。
些末な事でこの人を縛る事をしてはいけない、と思うんだよ、だって上野さんは神様じゃないし。
知らない事や間違ってる事も沢山あって当然だ。この人の背負ってきた重いタイトルを同じように背負ってる人を
まだ私はフェミニズムの世界でもジェンダーフリーの世界でもお見かけした事はない、
もちろん、私は詳しくない人間だけど。上野さんがいないとできなかった事って沢山あったでしょう、
って私も共感を持って読める素晴らしいフェミニズムジェンダーフリー論者のブログで
上野さんが批判されているのを読む度、思う。もちろん、そうなのかな、と思える、理にかなった
批判ではあるんだけど。上野さんを双方から叩いて何かいいことってあるのかな、
上野さんはもう違うところを目指していると思うんだよね。
なんにしても凡人にはわからない先を目指す二人に私はひたすら眺めるだけで幸せだ。