「生命倫理」とかぁー、、

巷では、女性作家の「ネコ殺し」なるものが話題であったが原文を読んでないのでなんともなー。
好きなブログの方は「モンスター」のドクター天馬の事を出されていて、納得。私は「ネコ殺し」って聞いて
思わず大野先生のエントリを思い出してしまった。「恐怖!ネコ女の怪」って感じの、いつもながらに笑える話で
「私ってー、ネコに似てるってー、よく言われるんですうー」なーんて女は無条件に崖からホリ投げてもいいよな、
てな話かな、って一瞬思った。生命倫理とか、飼い主の責任とか色々あるけど、あの作家の線引きが
少し変わってるな、と思う。買っているネコは大事な「家族」、でもそれが産み出したものは「フン」みたいなもん、
処分してよし、って事なんだろうなあ。でも「この子が産んだ大事な家族」」て際限なくやってると
そりャー「猫屋敷の怪」になるわけで、難しいなあ、避妊手術だってネコ飼ってる人に言わせると
当たり外れがあって避妊手術の後、体調が悪くなって死んだ「子」を知ってる、って言ってたしなあ、
ネコ好きは「子」って言うんだよな、すごいなあ。まー、いいとか悪いとか、よくわからん。
人間の子ではないんだからそれほど騒ぐことも、って感じ。すみませんねえ、私、ネコ好きじゃないんですよ、
だってうちのネコの額ほどの庭にネコがフンして私が植えたもの次々枯らしていくんですもん、にーくーいー。
見かける度、追い回してる。「(お魚くわえた)どらねこ、おおかけーてー」と必ず唄う。
大野先生はなんでか裕木奈江ちゃんがお嫌いなようだが、多分本人じゃなく、
それ「風」の人が嫌いなんだろうと思う。御自分の嫌悪感をああも楽しくあらわせるってすごい。
「嫌い」のこだわりを面白くかけるっていいなあ。私にも「嫌い」の「命題」があってそれは何かと言うと
「自分が幸せと広言する人に本当に幸せな人はいるのか」なんだけど、なかなかうまく書けない。
なんで嫌いかって言うとあんまりよく知らない人から私は何故か「自分がいかに幸せか」
って聞かされるからなんだな、大昔、若い頃はあんまりよく知らない人から「私がいかにモテルか」を聞かされた。
なんで見ず知らずの人間にそういうこと言えるんだよ、なんで私ばっかりなんだよー!、ってずっと思う。
ああ、私はよほど他人から侮られてるー!!って被害妄想爆裂。大人しそうに見えるって損ばっかりだよー、
とネット上でしかうめけない小心者の私。ところで、もう一つ、これは命題じゃなくて単に思ってるだけの事だけど
なんでか「愛があふれたご家庭ほど子供の数が少ない」ってやつ。いや、これ本当。
「私ってー、主人に本当に愛されててー、(二人の愛の結晶である)子供も本当に可愛くてー、本当に、幸せー」
って、なんでかそういう御家庭には子供が一人しかおらん。「愛の結晶」はもっと沢山あってもいいような、、、
本当に「愛されて」「子供が可愛い」ならね。それこそ「生命倫理」の問題なのかな。
それにつけてももし私が「きみってちょっとネコっぽいよね」なんて言う男に
「そう思うぅー?」なんて言えたら(あるいは「黙って微笑む」とか)、全然別の人生があったのかもしれない。
そういうことが出来なかった自分がにーくーいー。