ネット雑記。

とある検索記録から、「子供嫌い」を読んで、心温まるお話やわぁ、と感心する。
ふと思い立って「猫嫌い」を検索すると、これが「子供嫌い」と理由が似ているのよね、
で、不思議なのは「子供嫌い」な人が意外に「猫大好きー。ニャーニャー」なんちゃっていったりして
ううむ、ホラー臭がするぜ、子供より、実は猫の方が他人に大きく迷惑をかけてるんだが、それは目に入らない、
子供嫌いの人は「親の躾がなってない!」ことに怒っている人が多いんで、その手の方は猫のしつけはとても厳しくやっていると信じたいものよ。
なんとなく「猫だからァー、仕方がないじゃないですかぁー」と言われそうな気がしないでもないが。
それはともかく、面白がって子供嫌いのご主張を読んでいてふと思い出したのが、
子供たちがまだ小学生、幼稚園児だったとき、旅行先のホテルのレストランで、異様に子供たちがいることを敵視した若い女性がいたこと。
カップルの彼女が入るより前に私たちは食事をしていて、それを見た瞬間から「なんで?なんで子供いるの?」と、
よく聞こえる声だったんで、これは私たちに聞かせているのかな、面倒くさいな、と思ったものの、
我が子達はレストランで騒いだりするタイプの子供ではないので、いたって店側の扱いもよく、
もともと、子供を連れて行ってもいいかを予約の時点で確認していたので、特に問題もないだろう、とのんびり構えていた。
とはいうものの、私たちのテーブルに近いところに座った彼女はとにかく、子供がいるということが気に入らない、
子供が体を動かすたびに、わざわざ睨みつけてくる、今にして思えば、病気レベルで、なんであそこまで無視できずにガン見したのか、
子供が何か言うたびに、ため息をついたり、「なんでこんなところ連れてくるかなー」と言ったり、
それがかえって目立ってほかのお客さんの迷惑になっていた気がするが、多分、彼女は同調者を見出したかったんだろう。ツレの彼氏は終始無言だったし。
あいにく、彼女ほど「子供がいるだけでこの空間が汚れる!」と感じるほど、子供嫌いはいなかったようで
むしろおとなしく食事をしている子供たちにニコニコ笑いかけてくる人の方が多かった。そこが彼女をいらだたせたかもしれないが。
コースを順調に終えて彼女より先に席を立ったところでやっと彼女は安心したらしく、大きなため息をつかれ、
いやはや、こんなわかりやすい子供嫌いの人、初めて見た、と感じながら会計を済ませていると、なぜかコース半ばのはずの
彼女のツレが私たちと共に店を出ていく。
トイレかな?と思ったけれど、同じようにエレベーターに乗って私たちは客室で降りたが彼は地下の駐車場まで降りていったので、
はて、車まで忘れ物でも取りに行ったか、あるいは彼女を置き去りにしたか、今もって謎だ。
嫌いなものを嫌いとあからさまに出すことを私はそれほど否定する人間ではないのだが、どうも私は「子供嫌い」というと
極端な人だというイメージを持っていたりして、以前話題をさらったさかもと未明にしろ、
嫌いなものはむしろ子供本体ではないんじゃないか、思い通りにならない状況というか、
自分が自分の意に反して譲らねばならない状況に陥ることに耐えられないんじゃないか、
「子供嫌いに人権を!」の主張は認めてもいいものの、なんとなく、それ以外の多くのものを他人に要求する人たちというイメージが私にはある。
過剰に「自分」を大事にしすぎて、それを他人にも求める人たちなのではないかな。
でも「猫」は「猫を可愛がる素敵な私」があるので、許容できるのかも。
ま、私は猫よりは人間の子供が好きなんで、何を言っても説得力はないな。
しかしそのへんにしょっちゅう猫は捨ててあるが、虐待が叫ばれる中、まだ「捨て子」はそれほど一般的ではないよなあ。
子供も人間である、が理解できない人間は、果たして、本当に人間を愛することができるのかどうか、
これは私の人生をかけた命題としてずっと追っていこう。
もう最近は下手な「理解」を示すのはやめた。