雑談、あれこれ。

定期的におかしな検索が来るので「専業主婦、死ねばいいのに」とか「絶滅寸前哺乳類、死ねばいいのに」
なんてのが来そうだなと思う。(「専業主婦、馬鹿」とかでしょっちゅう来るし)来たら大いにウケる。
(別にリクエストしませんが)「プレジデントファミリー、マッキンゼー」とかもよくあって、
これはなにを求めてくるんだろう、このあいだ初めて買ってみたけど大方の雑誌と同じく2割くらいは
いいことも書いてあるんじゃないかな、と思った。冒頭にあったマッキンゼーの役員か何かの人のインタビューは
読んでもいいんじゃないかと感じた。でもあとのマッキンゼー方式ってのはどうかな?
あれを鵜呑みでやる馬鹿はいないだろうが、いたら怖い。
あれをやってもいいのはあれを読んで笑い飛ばせるご家庭だけだ。それにしてもこういう教育に関する
「ハウトゥー」モノ、やはり子供の教育に関わる父親が増えてきてるって事なのかな、
なんだか私が若い頃、「ハウトゥーセックス」もん、ってのがあったけど、あれにお世話になってた同世代が
この手の本を一生懸命読んでるんじゃないかと思うと笑えない。
男はマニュアル本と知識の掻き集めが好きって事なのかなー、そう言えば戦争についての論戦でも
どことなく持ってる知識の披露のしあいになってなんつーか、「メンコ」(あ、今、「面子」って漢字が出た)
のやり取り見てるみてー、とか思うところがある。もちろんよく勉強してる方が勝つし、その勉強してる方は
やはり良識派だとハタからみてて思うんだけどね。私は知識の「量」よりもむしろそれを生かして発達した人の
「知性」の方に興味があるので、よく読みに行くブログはそういう情報をきちんと消化した上で
御自分の意見をはっきり書くものが多い。説得力もあってすごいと思う。まだ所謂「なンちゃって右派」で
その手の事が出来てる人は見かけたことがない。「それとはなく、右派」な人も読んでは見るものの、
攻め込まれるとどこか腰がひけてるとこが情けない。「知識の量」と「知性」とは全く別であると
わかってないんじゃないかな、「少し調べる」程度では。受け取った情報をどう捕らえるか、
その「人間性」と言うものに私はひかれる。それをあらわせる人たちは無数にあるブロガーに、多くはいない。
でもその貴重なお一人である「塾講師のつぶやき」先生のところで英語に関する情けない記述があって、
ワーズワースを理解するより、「TOEFL」の得点を高くする方が価値がある、と考える大学」が増えてるらしい。
なんと人類は後退していくことか!でもなあ、英文学研究学会もかなりいい加減なところがあったからねえ、
「流行り」「廃れ」ってのがあって私が学生時代は
ディケンズなんて流行らないものやるのは君くらいじゃないかな」と担当教官に笑われた。
先生は「シェークスピア」を私にやらせたかったんで、確かにうちの大学では
当時、10年ディケンズをやった人がいなかった。でも四苦八苦してやって、私は楽しかったし満足もしている。
結局「教育」って趣味性の高いもんじゃないのかな、もう大学はそういう「趣味」を
提供できるところではありません、ってみもふたもないこと言い出してるって事で「知識」を「知性」に
「養う」場ではないと、悲鳴をあげているわけだ。そこにいたるまで、何もしようとはしなかった大学も
少しは悪いと思う。うまくは言えないし、もちろん、はじめからディケンズをやるつもりだったのに
シェークスピア専門の先生のゼミに入ったような私が言うことじゃないけど
(でもその先生の比較文学論は面白かった)「教養」を持つ楽しさをどれくらい大学が教えてこられたのか、
私は疑問に思うところが多々ある。ディケンズ研究で有名な大学があるのを知ったのは大学に入った後で、
これはずっと心残りになっている。でも大昔の田舎もんの高校生にその情報を手に入れるのは無理だったよ、
ま、言ってもしょうがないことで行った大学で学んだことは他に多くあるから満足してるけどね。
だらだら長くなった、もうおしまい。