「戦争の、話し」、の、しゅうへんぶ。(おしまい)

思い出すときりがないのでそろそろやめにする。とは言うものの、このあいだ中学の体育の先生は
軍隊の学校を出たから、最底辺校であるうちに来たのか?(「日教組」なるものが強かったから?)なんて
つい書いてしまったが幼馴染みに聞くとその先生はちゃんと校長先生になって退職したそうだ。
なーんだ、やっぱり「日教組」、強くないじゃん、前に書いた戦争経験のある先生も校長先生になってるしね。
でもその中学の先生は何かあるとすぐ
「自分は軍隊の学校に入ってお国のために戦うと思ってたら戦争が終わってしまって」とグチグチ言ってたんで
つい、そんなこと思ってしまった。実は嫌な先生だったんだよな、セクハラオヤジだったし、
夕方になると学校にまだいるのにビールとか飲んでたし。昔はそういうところが許されてたんだよなあ、
帰ろうとしてたら「お、今、帰りか、気をつけて帰れ」とかいいながら肩を組んできたりしたし。
これからはお前に会わないように気をつけて帰るよ、なんて思ってた、
でもそれが私はあんまり顔に出ない人なんだよなー、損したわ。
戦争について聞いた話は色々間違いもあるんじゃないかとちょっと心配でもある、
英国軍が日本軍とぶつかったことはない、的なこともちらっと読んだことがあるんで、
私はステイ先のマダムの父親の話を本当かどうか確かめられていない。でも少なくとも友達が捕虜になって
帰ってこなかった、は本当じゃないか、という気がしている。沢山、あの戦争について調べてみないといけないと
思っている。高知にいた時、出征したほとんどの人が帰ってこなかった村があったとか、
高知は貧しいところだったから激戦地にとばされた、とか他、聞いた話は山ほどある。
あと、ばあちゃんが聞いた玉音放送の話とか、ばあちゃんはなにいってるのかさっぱりわからなくて、
ちらっと横の人を見たら目があってどうもそこにいる皆、何を言ってるかわからなくて、戦争が終わったと知ったのは
次の日で、負けた、ってわかったのもそのあとだったそう。使ってる言葉が難し過ぎて一般庶民には
わかんなかったんじゃないかな、それを思うと今の天皇陛下のお言葉はよくわかるんで有り難い話だ。
紀子様が御入院で帝王切開予定、宮内庁(省?)病院は機材が無茶苦茶古い、ってどこかで読んだけど
本当なんだなあ、それとももう男ってわかってるから大事に大事をとってるんかな?
私は女帝でもいいと思ってるけどそれではお父様そっくりのお顔の愛子様が縁遠くなるから
男の子だったら皆ほっとするのかな、紀子様は皇太后様になられるのか。(あ、その前に皇后様になるんか?)
昭和天皇の戦争責任について私がどう思ってるかと言うと、あっただろうと思うけれど昭和天皇
若くして天皇になってるし軍部とかの言うことを聞かなかったら平気で首を挿げ替えられかねなかった
という気もするんで曖昧にしておく。(おお、日本人的!)これについては中国人でさえ
ほとんど触れなかったんだから中国はえらいよなあ。ま、色々あったんだろうけど。
子供達に戦争についてちゃんと話した。下の子は曾じいちゃんの骨が晒されたままだということに
ものすごくショックを受けていた。とても哀しんだ。
もう少し大人になってからの方がよかったかな、と少し後悔している。(おしまい)