「戦争の、話し」のおしまいの前に。(右とか左とか)

いや、お盆は浮き世の義理多々。今日は子供達を連れて片道2時間の僻地へ、
サーファーが多く集まる荒い海で泳ぐ。いや、つかれた。
それはともかく、私がかねがね不思議に思っているのは「戦争反対」、と書くだけで何故か「左偏向」とか
左巻き」あるいは「ブサヨク」なるお言葉をもらうことなんだが、まー「ブサヨク」にいたっては
そのボキャブラリーの貧困ぶりに泣けてくるものがあるな、私的には「ドサヨク」あたりで
いかがなもんざんしょ、なんて思う。だって、私生まれてこの方、「ブサイク」に似たようなお言葉を
他人から頂いたことなんてありませんのよ、ホホホ、、、(日にあたり過ぎ)
非常に納得できる論理で色々書かれる方々のブログを読ませてもらっても必ず一回や2回は「左」的、
と言う言葉を頂いているようだ。最近は「左」とは「大変賢い」と言う褒め言葉では、と嬉しくなってしまう、
あ、この方がそうならいいやー、みたいな。でも残念ながら実は私は「左」志向は全くない。
世間で60年代生まれとなるとどうも「左傾教育」なるものを受けているらしいが、私は60年代も末期生まれだし、
大変保守的な地方に生まれ育っているので大人になるまで「日教組」なる言葉を聞いたことがなかった。
(聞いたかもしれないが「それって食べれるものー?」くらいの認識だ)フフ、たかだか「日教組」程度が
洗脳できるレベルのお上品な地区に住んでるなんて思うなよ、「日教組」もはだしで逃げる「ヤ○ザ」の御子弟が
多く通われる学校をなめるんじゃない。保守と「おヤ○ザ」様が固く結びついてるところに
そうそう「左偏向教育」なんて命が惜しくってできませんのよ、で、親の家業を立派に子供時代から
踏襲されている方々にもまれたので私は必然的に「平和主義」なわけ、学校行くのに文字どおり
「(心の)防弾チョッキ」を着ていかねばならなかった経験は無駄じゃない。
常時紛争地区に育つと本当に「和平」を希求せずにはいられない。下らないことで小競り合いするのを見るのは
本当に嫌だ、「とりあえず何ごとも穏便に」を心掛けるようになる。
私が行ってた学校は「かしらー、中」なんて軍隊が使ってたらしい用語を平気で用いる先生ばかりが
集う学校だった。だから「国旗に向かって敬礼!」は貧血で倒れそうになるまで何度もやらされているし
君が代」も「腹のそこからめいいっぱい!!」を竹刀もった先生が気に入るまでやらされてたわけで、
今の方がよほど学校生活は楽だ。中学はこの手のスパルタ教育をされているにもかかわらずまともな授業なんて
できたためし、なかったもんな。だから私の受けた教育が「左偏向」には全然当らない。
右も左もヘッタクレもあるかいっっ!!っていつもいいたくなる、そんな育ちがいいブログじゃないでしょう、
うちは。まー、どうも「左」がどうのこうの言う方々の説を信じるとすると左の方とはどうやら
「くち」が大変お悪いそうなんで、そこだけは一致するかとも思うが私以外で「左偏向」なるものが
見られるらしいブログ主の方々はとても丁寧なお言葉遣いをされていて、おや、おかしいぞ、と、思ってしまう。
「左」って何なんですかね、「日教組」ってそんなすごい「最強団体」だったの?
じゃ、何故、今ブイブイ言わせてないの?「左偏向教育」を受けてた世代が私の同世代ならもう世界を
握ったも同然じゃん、それなのに全然、そんなじゃない。面白半分「なんちゃって左翼、時々極右」なんて
私は書くが実は見事なまでに保守中道まっしぐら、常にまん中しか歩けません、
どっちにもおちくれたくないんですもの。「脇目もふらずまっすぐまん中を歩けー!」と学校の体育の先生の
お教え通り、一休さんの頓知なみに私はあちこちの掛け橋のど真ん中を狙って歩いてるつもりだ。
なんでか軍隊上がりの先生が多くいらっしゃった中学でビシバシやられているおかげでどちらかと言うと
私は自分は「真っ当右翼系」だと思っている。三つ子の魂なんとやら、なのか先生方はやはり天皇陛下を敬うのは
日本人としての義務、みたいに堂々と言ってたのを聞いてたし、国旗を扱う方法は恐ろしく厳しく教えられたし、
やっぱ、私が「左」ってのはおかしいなあ、、、
あ、でも高校の時「ぼくは左翼だ」と宣言する現代社会の先生はいたな、その先生はよく怒ったので
「左翼って短気な人の事なんだなー」なんて皆で言い合ってた。短気、ってのは確かにあたってるな、
その先生の授業は面白かった。でも別に「戦争反対」とか「天皇制廃止」なんて言わなかった。
「左傾教育」はやっぱり受けてない気がする。思うにその手の教育を受けていれば私も今頃
「百人斬りの兵士の美談」とか「南京大虐殺はなかった」なんて言ってたのかな?
「教育」の「影響」なんて40手前になるといい加減抜けると思う、私が言ってることは受けた「教育」のおかげ、
と言うより辿ってきた「人生の証」、で自分の言動は自分で面倒みるつもりだからまるで昔お世話になった先生方が
悪かったから、みたいなニュアンスで「左偏向」なんて言葉はあまりに情けなさ過ぎるよ、使ってる方が。