不機嫌です。

私は「私らしさ」なんてモノをかけらほども持ち合わせていないので「自分らしさ」なんて言葉が嫌いだ。
「私らしさ」とか言う言葉を聞くとフラッシュバックのように若いころにやたらと流れていた
岡村孝子」とか「今井美紀」の歌が念仏のように耳に響く。ああ、恐ろしい、「本当の自分はあー」とか
「私らしさを選んであなたと別れたのおー」なんて歌い上げられた日にャあ、「悪霊退散」のお札をはられた
妖怪のように自分がドロドロ解けていくのを感じた。多分「自分探し」が流行ってた時代じゃなかったかと思う。
知り合いが「ホントの自分はこんなじゃない」と言うのを飲み屋でよく聞かされた。
じゃあ、今ここにいるあんたって誰?私は幽体離脱したなんかと喋ってるンか、と思って
気持ちが悪くてならなかった。その当時流行った「本当の自分」とは多分「理想の自分」だったんだろう。
私は生憎と「理想の自分」なんて夢を持ち合わせてなかったもんで「本当の君はそんな人じゃないはずだ」
とか言われても、そいつの目の前で鼻ほじってみせるほどの事しかしなかった。そして今現在に至るまで
「私らしさ」なんてもってない。大体人が「自分らしさ」をひけらかす時、相手をそれで攻撃しようとする事が多い。
「私は私らしくこーんなに正しいのにあんたはどうよ」的に用いられる。「没個性」だって「私らしさ」だと
「私」は思うが、あんたがそう思わないことを「私」は責めたりせんよ、でもあんたの「私らしさ」は
「私」を「攻撃」することで成り立つんだよな、結構な「私らしさ」だよっ!!って言いたいけど言いませんのよ、
だって私は「私らしく」いい人なんですもん。何も言わないで成り立つ「私らしさ」もあるはずだ。
だからあんたもそうしてくれや、と求める私も「私らしさ」を押し付けてんのかな、時々わからなくなる。
話は変わって、私が不機嫌になるのは教育方針にケチをつけられた時だ。
どうも私をよく知らない人ほど子供を「私立」に行かせてないことをいぶかってくれる。
奥様系の知り合いでセレブ的催し物を企画する人がいるので時々「頭数」としてかり出される。
そういう時にたまたま何度か顔をあわせた程度の人から根掘り葉掘り子供の学校まで探られて、
別に隠すいわれもないので正直に言うと住んでるところからおしてなんで近所にある「私立」に行かせなかったか
とまで聞かれる。「公立」を「選択肢」に入れるのがどうしても理解できないらしい。
めんどくさいんで子供の出来が悪かった、と言うことにしていて、大体会話が終わるんだけどなんでかこのあいだ
「子供の個性を尊重してもっとちゃんとするべきだ」と言われた。「子供らしさを大切にするなら出来たはずだ」
なんて、あんたに言われたかあないね、あんた私の子供を育ててくれてんのかよ。それから連綿と続く
「私らしい子育て」を聞かされたが全然聞いてなかったので省く。
いやはや、もう、なんでこんなに「らしさ」を私は聞かされんのかね、そんなに私は「私らしさ」がない、
って顔してるンかね、ウウッ、哀しい。「教育方針」がないのがうちの「教育方針」だよ、と言えたらいいんだけど、
言うと倍くらい返されそうなんでやめとく。赤の他人に腹をたてるほど私は気のいい人間じゃないしね。
でも不機嫌。ますますもってその方ご推奨の近所の私立に行かせなかった自分の判断を正当化する。
ちなみに、今まで「なんで私立に行かせなかったか」のわけをはぐらかして、返された言葉でウケたのは
「御自分がラクしたいからじゃない、贅沢したいのよね」だった。あんまりおかしかったので大笑いして
「そうなの、その通り、何でもわかってるのね」と言ってしまった。(あとが大変だったが)
ま、ほとぼりが冷めた頃、奥様会に顔を出すとその人はいつのまにか駆逐されてたんだけど。
ああ、なんか久し振りに実生活で不機嫌になってしまったわ、二日も続けて「嫌い」を繰り返してしまった。
これが「私らしさ」なのかも。「らしさ」とは他者を攻撃するためにある?やっぱり危険、、