「自然」って、なに?

唐突ですが、私は「私らしいお産」なんて言葉が大嫌いだ。そんな人の生き死にに関わる事まで「自分らしさ」
なんて世迷い事を言い出す輩はまとめて中国奥地の嫁不足地区に送り届けてもいいとさえ思っている。
出産はビョーキじゃない、なんて話があるがいいえ、違います、病気です。たしか出産は若い女性の死亡原因の
上位にあるんじゃなかったかな、それくらい大変な事を「イベント」にしてどうする!
大体確実に子供が無事に生まれてくるかどうかなんて、検診してる産婦人科の先生にだってわからない、
エコーで見ようが何しようが生まれてくるまでトラブルに見舞われないなんて確証はどこにもない。
それを「一生のうち何度もない事だから自分らしく「自然」な方法で産む事を決めました」なんて、
とくとくと語るやつ、水中で産もうがワンワンスタイルで産もうが好きにするがいいさと言ってやりたいが、
大体トラブルが起こった時犠牲になるのは子供だ。「小のむしを殺して大のむしを助ける」とは
昔の産婆さんが言った言葉らしいが、お産で何かあった時、今でも大抵母体を優先する。
昔、産婆さんは産道につまった子供の頭をつき壊す(!!)道具を持ってたそうだ。
子供ってあっさり見捨てられるもんだったらしい。
「私らしいお産」が時として悲惨な結果になる事を理解した上でそれでも「自分らしさ」を追求したいのなら
止め立てすまい。でも危険な逆子なので帝王切開をすすめられたのを振り切って(「自然分娩」にこだわった)
転院し、出産の途中、どうにもならなくなって救急車で元の病院に運び込まれ、緊急手術をして
九死に一生をえた人を私は知っている。その子供は出産時、酸素が脳に行き渡らなかったせいで重い障害を
背負う事になってしまった。死にかけた母親は自業自得にしてもこの先、障害とともに生きなければならない子供に、
母親はどう接するのだろう、それも「自然」と受け入れるんだろうか、
でもそれって本当に「自然」なことだったのか?助けようとすれば助けられたはずなのに。
私は「自然」(「なちゅらる」も含む)ほどうさんくさい言葉はないと思っている。
それって、誰が「自然」って決めたんだろう。本来「自然」って物凄く恐ろしいものだった。
その「自然」と戦うために人間は知恵を駆使してきて、またそれがある意味人間の「自然」でもあったはずなのに
それを忘れて都合のいい「理屈」だけが「自然」と見なされる。
私は朝日新聞による特集「お産が危ない」で「経産婦は38週で促進剤を使う」の原則をあげた病院を
まるで「不自然の極み」とするような論調に同意できない。経産婦が2度目のお産のあとの方がだるかった、
なんて本当に促進剤のせいかどうかわからないじゃないか、二人三人と自然分娩している人も
「下の子ほど後産がきつい」と言う、お産は一回一回違うのだ。同じ親からうまれる子供が同じ人間ではないように。
本来「お産」とは母親がこだわって「自然分娩」を選ぶことより子供ができる限り5体満足で生まれこられるよう、
先人達の知恵を借りながらすすめるもんじゃなかったか。それが「自然」なことでもあるんじゃないか。
個人病院では昔から医師の都合で促進剤を使って産むことが求められると私は聞いている。
この過疎地の病院だけを例にとっての記事を私は支持しない。
もちろん、促進剤を使って産まされる事が正しいとは思わない。一人で責任を持って促進剤のお産につきあう
医師さえも限界だとある。ただ「自然」という言葉を使って小児科医や産婦人科医を追い詰めるような書き方は
いかがなものか。「子供がお産で死ぬことも自然の摂理」と書くことができるだろうか。
これは大昔からあったことだ。たとえ産婆の人為ミスであっても医療訴訟はなかった。
「自然」を擁護するならそこまで突き詰めないといけないはずだ。
何かあった時小児科がいる日にお産をする、という考え方を「不自然」と導くなら
何%かの子供がお産のトラブルで命が危うくなることを「自然」と書けと私は思う。
「私らしいお産」とか「自然」とかって一体なんなんだ?