最近の読書。

小熊英二さんが気に入って読んでいる。「対話の回路」と「癒しのナショナリズム」(これは学生との共著)
を読み終えた。「対話の回路」では小熊さんは相手にかなり食い下がって色々聞くので結構ハラハラする。
怒らせてない?大丈夫?って感じ、でも上野千鶴子先生の時だけ、小熊さんは守勢に入る、
上野先生容赦無し、ガンガン行く、素晴らしい。上野先生の本は今、「老いる準備」を読んでいて
これもすごく面白い。でも思ったのは私がもし今お気楽な学生だったら、上野先生に身を剥ぐような講議を
うけるより内田樹センセの鼻毛抜いてる方を選んじゃうだろうなあ、って事、その方が楽だもの、
きっと「たっちゃん」なんて呼んでチャラチャラしてしまう、もっとも、ちゃんと勉強する気であれば
泣きながら上野先生についていくな、身につく勉強ってそういうもんだし。
小熊さんは何となくモノの見方がカラッと明るい気がする。この方は東大の農学部を出て出版社勤めをした
変わり種だから学生時代から文系です、な人のねちねちさがあんまりない。ねちねちが悪いわけじゃないけどね。
「癒しのナショナリズム」には考えさせられる事が多かった。主に「自虐史観」で有名な
「新しい歴史教科書を作る会」について書いてあって対象に注ぐまなざしは自然な共感を含んで好感が抱ける。
でもだからといってその趣旨を認めているわけじゃなく、できる限り公平な目で内側からも調べながら
やはり間違っている点はきちんと指摘している。と言うか、かなり突っ込みどころ満点なんだよね、あっち関連、
ドシロトの私が読んでも。でも色々わかってスッキリした。私があっち関係を嫌う理由がわかった気がした。
あれを支持する人たちは「自分達は『フツー』だと認めて欲しい」そういう渇望を持つらしい、
私自身にもある渇望を私は嫌だと思う。どこかで他人に認めてもらいたがっている私を私は否定したいのだ。
あと「朝日」をなんで忌み嫌うのかもこの本でよくわかった。
「朝日」さえ攻撃しておけば連帯感があるのか、不可思議なつながりだよなあ、、
それから前から読みたかった、中村うさぎさん、小倉千加子さんの対談集、「幸福論」も読んだ、
ううっ、濃かった。これに関してはまた別に感想を必ず。いやあ、すごいです、中村先生は。
ダヴィンチコードを今さらながら読んでるが今一つ嫌い。なんか乗れなくて、ダーリンが買ってきた
ダヴィンチコ−ドのここが嘘」的本の方ばかりが気になる。ちゃんと元本を読まないと読ませてくれん、
ううっ、私、こういう本ダメなんだよ、あざとい本だもん、とほほ。
ふと読みにいったブログのコメント欄で「ラカン」とか「レヴィナス」とかが出てて、
エエッ、この方々は本当にあれ、わかったのか?と思う。わたしゃダメですたい、わからんですたい、
私が読めたのは「ヴィトゲンシュタイン」までです。それだって、理解度はあやしい。でもなんか好き。
私は自分が絶対なれないものを無条件で尊敬するので哲学者は崇高な存在だ。
いやあ、よくここまで考えられるよな、すごいな、ってその程度だもん。深いコメント欄だった、、
今度は「私という病」を読むぞ!