週明けの熱き議論に、、、

トホホ、ダーリンママが母の日のプレゼントにがっかりしてた事を知る。そうか、お花がよかったんだ、
人が来た時、一番花ってわかりやすいもんね、「母の日に貰うたんやねー」って、
ああ、女の見栄心を理解してなかった私が悪かった。実家は三人兄弟なんで母の日近くなると
家が病室状態になる。「なんじゃあ、この花の山はあっ!」とあまりにも安易だと思ってたんで
つい、ダーリンが一人息子だった事を忘れていた。お花を贈るのって私しかいないじゃん、
不出来な嫁でごめん、来年は必ず大きな花を!って覚えてるかしら、私、学習能力ないの。
父の日は花にしてみようかとふっと魔がさす私、、いやいや、やめておこう。
ところで昨日チャラチャラ雑感を書いたところの論議が熱い、件の数学屋さんのところなんだけど、
私はこの方が本当に数学を専門に扱われる方なら子供の数学の先生にはなって欲しくないなあ、
美しく正しい「解」には到達しそうにないし。なんであんなに微妙に論点がずれていくんだ?
わざとだったらレトリックとしてはまずまずだけど数学屋の名前は外した方がいいや、
あれは賢い理系の人間がやってる事とは程遠い。それにしても応対している方々のところを見ても思うのは
どうやらネット界では「知識」は「攻撃の武器」と見なされている事だ。これは教育のあり方としては
どうなんだろうね、私は教育が強制されるものではないように知識は人を傷つけるものでは決してないと
思っているけれど、どうやら、どちら側も寄り掛かるのは「情報量」ばかり。
それがうまく消化されてなくて「知識」が「知性」になってない。言葉がどちら側からも届かないんだよ、
まあ、喧嘩してるってのはわかるんだけどね。なんでも雑に片付けて面白がる私が言う事でもないんだけど。
数学屋さん、書く事はもっと簡潔にね、大学の先生にレポートが
「長過ぎる!そんな事でごまかすんじゃないッ!!」って叱られなかった?ちょっとそんな気がした。
これに限らずあちこちブログを読ませて思う事はやはり長い文章読ませようと思ったら「文章力」って大事だ、
うまい人の書く文章はどんなものでも最後まで飽きずに読みきれるんだけどそうじゃない人の場合、
物凄く読むのが苦痛、なんか書こうって時はそれでも最後まで我慢して読むんだけど読みおえたあと、
ただでさえ賛成できない意見にこんなに手間かけさせやがって!と憎さも倍増!(当社比)、
私怨も絡んでより憎々しく感想を書いてしまうんだよな、いや、反省。
私が好きなブロガーさんと言うのは大抵奥床しくて
「こういう意見を『私』『個人』がもってるんですがいかがなんでしょう、正しいとは思ってませんが、、」
とあくまで「御自分」を書く。その素直さ、謙虚さに私は別意見であっても
「そうかこの方はこう考えられるんだなあ、私ももう一度考えてみよう」という気になる。
控えめな意見の中に信頼に値する真面目さが見えてその先に多分「正しさ」があるように思わせる。
でもネット上で人を集めてるのは
「オレは正しいんだぜ、イエー、こんなにいっぱいいろんな事を知ってるんだぜ、イエー」のとこばかり、
そんなに「正しさ」って簡単に手にはるもんじゃないと思うんだけどねえ、、お手軽すぎるよ、「正しさ」が。
一生懸命長々書いてるとこ読んでの感想がこれだから、私も当然「正し」くはないんだけど、
ま、ふっと思った事なんで。私も最近だらだら書くよなあ、、もっと簡潔に!を心掛けよう。