他人の色眼鏡を借りてみる。

先日、私がよく読みに行く好きなブロガーさんにブクマをされて大いに気をよくしている。
このまんま下世話な事を書かずに賢く日記を続けていければいいんだけど、いやいや、下世話こそが
私の象徴、また同じくブクマされているショーもなさそうなネタを拾ってくる。(学習能力なし)
「数学屋」を名乗る独特の色眼鏡をおかけになられた方でだらだらとフェミニズムに対して文句を
書き連ねている。私がかねてから不思議なのはこの手の「いやーん、フェミニズム、怖ーい!」の方々が
何故わざわざその恐怖心をあらわにされるかと言う事だ。もし「フェミニズム」が怖いとおっしゃるのなら、
いっそ「男らしく」その恐怖心はお隠しになってはいかがかと、お勧めしたくなる。
読んでると子供が「ナマハゲ」でも怖がるような痛々しさが感じられてこの方の「フェミニスト」とは
「ぼくちゃんのおちんちん切っちゃうのかも−!」みたいな、現実離れした妄想の産物の気がしてしまう。
いやフェミニストの方々はそんな「小さいモノ」には興味がないって。大丈夫だよ、心配しないでね。
大変親切で真面目にフェミニズムを勉強された方があれこれアドバイスをされているようなので
そんな哀しい妄想は駆逐されると思うけれど結局「女のひがみなんでしょ?フェミニズムって」
にもっていこうとする人って「またモテナイ男が若くて真面目なフェミニズムの勉強してる女の子が
ひっかかってくれないかな−、なんてネットでナンパしてるー」と私なんか受け止めちゃうなあ、違うの?
なんでも「男と女」のどうのこうのを持ち出すってそういう事でしょ、自分だって、同じように
片付けられちゃう、私は当然「おう、もっとやれえ、ええぞ−、がんばれー」の野次馬で、
最近フェミニズムの本を読み出して、ある種のフェミニストからすればフェミニズムの敵みたいな
子持ち専業主婦だし、だからわりにまだ中立的にものが見られてる方だと思うんだが
それでも社会の諸悪の根源が「ジェンダーフリー」とか「フェミニズム」だとは思えない。
そんな万能なものはこの世に存在しないよ、いい方も悪い方も。
それにしても残念なのはこの数学屋さんのおかげで内田樹先生の評価が私の中でぐっと下がって
しまった事だなあ、「アンチフェミニスト」の「旗手」として内田先生を持ち出すんですもの、
でも正直言いましょう、関西の女子大の先生やってて女性が嫌いにならない男性教授っていないと思いますよ、
私も女子大出身ですのでよく知ってます。だって学生は先生の言う事なんか一言もきかないもん、
「アー、なんかいうたはるでー」「聞こえへーン、先生、もっと大きな声でいわんとわからへーん!」
って、初めっから聞く気ないし。いやはや、先生は涙、枕を濡らす夜を、いくつ数えて立派な「女嫌い」に
なられる事か。もっとも、この方の色眼鏡をお借りしないまでも内田先生の評価は私の中でちょっと低い。
だってブログに「風水」を取り上げられたエントリがあるんですもの、ダメなの、私、「風水」って。
内田先生が何書いててもドクターコパの顔が浮かんじゃうー、かなしーい!!
フェミニズム」より「風水」の方が私にはあやしげに見える。いや、個人の趣味の問題ですけどね。
ま、ネット上で何を書いたところで所詮どの思想も「コミュニケーションツール」にしかされないってことで、
この数学屋さんは論理がどうのこうのと又たわごとを噴いてますが、いいかげん、自分のシッポを
追い掛けてる犬みたいだって事に気がつかないと先にすすめないと思いますよ、ネタで引っ張るのには限界もある。
さて、本でも借りに行きますかね、小熊英二さんの「対話の回路」もほぼ読みおえましたし。
網野善彦を読んでみる気になった。読んでるはずなのに思い浮かばなくて困った。
最近こういうの多い。いかん、いかん。