雑記。

先日、ここをアンテナに加えてくれている「うさうらら」さんのコーンフレークの箱の話が妙に私的にうけてしまったので
ついコメント欄におじゃまして、楽しいレスをいただく。
「うさうらら」さんのところでは大野先生、はっけーん!も、させていただいたので、お世話になっております。
で、こちらのコメント欄を読んで初めて「板出身」という言葉が腑に落ちて、
なるほど、そういう形で「日記」を書く世界があったのか、と今更ながら納得した。
私にとって「ネット」で「日記を書く」が「公共の場での発言」の意識となかなか結びつかなくて、
あちこち「日記」の内容で、何故こんなに「議論」が巻き起こるのか、実は不思議で仕方がなかった。
私がとらえる「ネット」とは元々「趣味の世界」と「お買い物に便利ツール」「日常記録」であって、
この「日常記録」が私の「日記」に当たるわけでそれ以外の「日記」の活用法に、
(多分)「自分専用の板」的なとらえ方をする方もいるのだというのに今頃ようやく気がつくなんて、
やはり「板」というものを使ったことのない人間の悲しさよね、しくしく、、、(ほんで未だに「板」って何?と思ってる)
正直に言ってみんな「板」ってところで何してるんですかね?
「板」は「2チャンネルのことだと思うよ」とうちのダーリンは言うんだけど、つまり、「チャット」って奴なんですかね?
一度か2度、検索記録からたどって見たことはあって、私は漠然と、実生活の知り合い同士が
「板」を作ってそこで話をしているもんだと思ったんだけどな。
私にとって「日記」は子供の頃からつけてきたもので、その昔ダーリンがi-bookを買ってくれたとき、
ノート代わりにつけ始めて、のぞきたいけど我慢するダーリンのためにまずは「さるさる」で公開して、
その後、ダーリンが、「きみには「はてな」が向いてるかも」「ふーん」で、「ブログ」が何かも知らないで来てしまって
どうもそのあたりで「感覚」のずれはあったかな、と考えたりしてる。
今になって「なんで「はてな」だったんじゃー!」「いや、前の機種では「はてな」でしか対応できなかったし」
と喧嘩したり、まあ要はダーリンが「ブログ」を始めるに当たって、まずは妻を野獣(?)の檻に放り込んだってことで、
放り込まれた羊の皮をかぶった実は野獣の妻は案の定、「適応」しましたってことなんだなあ。
(で、ダーリンは「はてな」以外で完全な趣味の世界をやってる、ちっ。)
私は、でもやはり、パソコンに書いたものを単純に「アップ」する、「公開」が毎日「書く」励みになる、で
やはり自分の書くものが「日記」の域を出ることはないなあ、ただ、書くことで自分を整理できる、
他人の「言葉」が理解できるようになる(かも)の意味で役に立ってくれているようだ。
「ネット」のとらえ方がそれぞれ違うこと、そして「書く」意識の違いが色々行き違いを生むんだろうな、と残念に思う。
「うさうらら」さんの「日記」の使い方は、私が思うに「言葉で、何が、どこまで、出来るか」考えることなんだろうなあ、と
私もそういう有益な書き方が出来ればいいんだけど、ここはそれ、やはり「芸風」、「わたし節」ってことで。
ダーリンも、息抜きのための「お笑い」を求めているし。
いつか立つ位置の違いはあっても、万人、平等に書く権利が保障され、その意識が浸透していくんだろうね。
その意識の浸透は思っているより早く行われるかもしれない、と私は感じてる。
自分の子供を見ていて、早い時期から「コンピューター」、「ネット」にふれている、ってことは、
どうもその「持つ」「意識」が私なんかとは全然違う。ある意味、恐ろしく冷静なところがある。
「冷静」である、と言うことは非常に残酷でもある、その辺が長くネットをやっている人には苦痛かもしれないなあ、、
ふとそんな気がした。